最後の記憶の中のあなたは、笑っている。
なら、
「・・・それじゃあ、出席番号24番、波田。次の詩を読んで。」
「はい。」
最初の記憶のあなたは?
「
‘冤罪’
もしも僕に咎められるべき罪があるなら
あなたを傷つけたことだろう
あなたを泣かせたことだろう
もしも僕に咎められるべき罪があるなら
あなたを 守れなかったことだろう
」
『冤罪』
「・・・・・長太郎」
「・・・・」
「おいっ、さっさっと着替えろ」
「・・・・・・・」
「・・・・長太郎!!」
「(びくっ)はっ・・・はい!」
一体いつから呼ばれていたのか。
宍戸さんの声に気付いて
俺は部室に置かれたイスから勢いよく立ち上がり
急いで自分のロッカーに向かう。
「しかも何読んでるかと思えば現文の教科書かよ」
「はい・・・・」
宍戸さんの溜め息が聞こえて苦笑いする俺。
宍戸さんに呼ばれているのに気付くまで
俺は部室のイスに座って
ずっと現文の教科書を読んでいた。
俺が読んでいたページがひろげられたままイスに乗っている教科書を
宍戸さんが手に取る。
「・・・‘冤罪’」
「宍戸さんたちは2年のときに授業でやりましたか?」
「・・・ああ」
俺はジャージに着替え終わって
ロッカーのドアをバタンとしめる。
「・・・なんだか似てる気がして」
あの時のあの想いに。
「・・・似てる?」
宍戸さんはそのページを見続けたまま
俺の声に返事を返す。
放課後の部活はもうすぐ始まる。
他のレギュラーの先輩たちはもうジャージに着替えて
コートの上に立っているのだろう。
俺がその詩に心奪われたのは
まるで以前の俺の想いそのままを言い当てられている気がして。
「・・・宍戸さん。俺、一度だけ先輩を泣かせたことがあるんです。」
「(!)あ?」
「あっあのっ・・・怒らないで聞いてくれますか?」
宍戸さんが教科書を閉じて再びイスの上に置き、
俺と目を合わせた。
先輩を泣かせたことがあるレギュラーなんて
きっと俺だけだと思う。
最後の記憶の中で泣いているあの日のあなたを除いて。
「・・・・」
ここからはあなたがいる最初の記憶。
「えっと・・・そこの一年くん!」
「(・・・俺のことかな?)」
「・・・えーっと・・・」
「・・・あの、俺ですか」
「そう!そこのノーコンくん」
ぐさっ!
と俺の胸に刺さる言葉で俺をそう呼んだのは
テニス部のマネージャーだった。
風がさらってきた桜の花びらが
ひらひら舞い落ちてくるコート
入ったばかりのテニス部で初めて呼ばれた。
あなたに。
先輩に。
・・・・ノーコンと呼ばれた。
なんて、
ひどい人だろうと。
「痛ってっ・・・!!」
「(!)っ・・・すみません!!」
実際、
その頃の俺はノーコンもいいところ。
サーブを打つたびに外しては
誰かにボールをぶつけていた。
「ノーコンくんまたボールぶつけたんだって?」
「・・・鳳です」
「ノーコンくん。落ち込んでるね」
「おおとっ・・・」
「知ってるよ。長太郎でしょ」
知っているなら
「(そう呼んでくれればいいのに)」
「こら、長太郎」
「!」
ぺちっとあなたは背伸びして
正面から俺にデコピン。
「そんな顔しないの」
なんて
ふざけた人だろうと。
毎日毎日
厳しい練習。
俺たちと同じくらい走り回ってるあなた。
「・・・・っ・・」
バテてばかりの俺
「ホント、体力ないね」
少しも動けなくて
そんなときに頭の上から白いタオルをかけるのは
いつも先輩だった。
「身長はあるのにね」
「・・・関係ないですよ。・・・俺、行かないと」
「ああ、ボール?拾って来たよ」
「え・・・」
氷帝のテニス部一年は自分で打った分のボールは自分で拾うのが決まり。
俺が拾わなくてはならないはずだった俺が打ったぶんのボール。
「全部ですか?!だって先輩他の仕事もあるのにっ・・・」
「長太郎バテてるからね」
なんて
無茶な人だろうと。
「景吾。あのね、さっき榊監督が・・・」
「あ?・・・くくっ・・・なんだそりゃ」
「ー!」
「きゃっ・・・」
「こら、ジロー。いきなり飛び付いたらが倒れるやろ」
いつも元気で笑っていて
いつか
俺にもあの笑みを向けてくれないかと
願い。
いつからかそう願うようになり。
そんな、ある日だった。
「鳳!コートに入れ!!」
「(びくっ)はっはいっ・・・!」
榊監督は
たびたび俺を準レギュラーや正レギュラーのいるコートに呼ぶようになった。
「またあいつかよ」
「・・・・」
「ちょっとサーブが早いからって」
たびたび、聞こえるようになった。
「あんなただのノーコン」
俺にたいする誹謗中傷。
陰口。
「おいっコートから離れようぜ。ボール当てられたらたまんねぇよ」
「!!」
「ははっだな!」
息が、つまる。
ラケットを握る手が震える。
・・・ああ。
「どうした、鳳。早く打て」
怖い。
「・・・・」
孤独だ。
ここは、一人。
この緑のコートの上では
「鳳!」
俺は、一人。
「・・・すみません。跡部先輩・・・」
「あ?」
「俺っ・・・打てません・・・」
怖い。
一人だ。
足が、手が震える。
怖い。
また誰かを傷つける。
「長太郎!」
「・・っ・・・」
あなたの、声が聞こえて。
俺はその場から逃げた。
自分が、情けなくて。
こんな俺を
あなたに見て欲しくなくて。
逃げ出した。
駆け出した。
「っ・・・長太郎」
「!逃げ出した奴なんか放っておけ!」
「そんなことできるわけないでしょ!!」
逃げた。
怖くて。
怖くて。
「長太郎!」
こんな弱いだけの俺を
先輩は追いかけてきてくれた。
コートから離れた校舎裏。
走ってきたせいで息切れ。
先輩に顔を向けることもできずに
背中で受けるあなたの声。
「長太郎・・・なんで打たないの?」
「・・・・」
「長太郎・・・」
怖かった。
「また・・・誰かにボールぶつけて、ケガさせるんじゃないかって・・・」
怖かった。
緑のコートの上。
そこは孤独。
「長太郎。大丈夫だよ。コートに戻ろう」
「無理ですよ・・・・。」
「長太郎」
一歩一歩先輩が俺に近付いてくるのがわかって。
「こっ怖いんです・・・!」
「・・・・・」
「俺、テニス・・・・下手だしっ・・・・」
「・・・そんな泣き言に見合う練習をしたの?」
「・・・・・」
「そんなことが言えるほど長太郎はがんばったの?」
「っ・・・わかっているようなこと言わないでください!マネージャーの先輩に俺の気持ちなんてわかるわけないっ・・・!」
背中に受ける声が
あまりに冷静に
俺の心を貫くから
本当は思ってもいない言葉をあなたにぶつけて
俺は自分を守ろうとしたんだ。
先輩はただ俺の後ろで黙ったまま。
俺はゆっくり振り向いた。
「・・・わかってるわよ。」
「・・・先輩っ・・・」
振り向いて先輩を見た。
「みんなの役に立ててるなんて思ったこと一度だってない!みんなのことわかりきってるなんて思ったこと一度だってない!!」
あなたは
「でもっ・・・みんながどれだけ頑張ってるのかは知ってる・・・」
強いと思っていた。
いつだって元気で笑ってて
誰より俺たちの傍にいて
誰より俺たちを見ていて。
「なのに長太郎だけ逃げ出すなんてずるい!みんな辛いんだよ!なのに逃げるなんて・・・」
俺は
「・・・・」
「そんなの許さない!!」
先輩が抱えていた不安をえぐった。
誰にも見せなかったあなたが抱えていたとまどい。
「許さないから!」
先輩の頬に
一筋の涙。
その小さな背中が走りだし
俺から遠ざかっていく。
・・・ああ、そうか。
「そう!そこのノーコンくん。コントロール気にする前にフォームに気をつけないと体痛めるよ。」
あの時も
「そんな顔しないの。ボールあった人、もう大丈夫だよ」
あの時も
「長太郎バテてるからね。疲れたときはしっかり休む!」
俺は本当は一人なんかじゃない。
いつも傍で支えてくれて、励まそうとしてくれて
そうか、あなたは
俺に強さをくれる人。
「(!)先輩!!」
振り向いてくれない姿に
駆け寄って
その腕を掴んだ。
足を止める。
「待ってっ・・・・待って、ください。」
「離して」
「すみませんでした!俺・・・・・・泣き言言って・・・・」
「・・・・・・・・・」
「っ・・・・・・・・・先輩!俺、強くなるから!・・・・・」
「ちょうたっ・・・」
「・・・だから、見ててください・・・・お願い、ですから・・・・」
先輩の目に移った俺を見る。
なんて、
情けない。
でも
「俺・・・頑張るからっ・・・だから・・・」
見ててください。
見ててください。
震えを止めてラケットを握るから。
泣き言を言わない努力をするから
「・・・長太郎。何泣きそうになってるの?」
「先輩っ・・・」
だから、笑ってて。
「強くなるんでしょ?」
そうやって笑ってて。
いつも
笑って、教えていて。
コートの上
本当は一人じゃないこと。
けれど
あなたはいなくなった。
いなくなった。
「先輩が亡くなったのは脳梗塞だと聞いています。・・・でももしかしたら俺にできることが何かあったんじゃないかって思うんです」
「長太郎・・・」
「もしかして先輩が亡くならなくてもすむように。俺にできることあったんじゃないかって・・・」
「・・・」
「先輩を守れたんじゃないかって・・・」
もしも僕に咎められるべき罪があるなら
あなたを傷つけたことだろう
あなたを泣かせたことだろう
もしも僕に咎められるべき罪があるなら
あなたを守れなかったことだろう
「この詩は俺の気持ちに似てる。」
「・・・・・・長太郎。なんでその詩が‘冤罪’っていう題名か知ってるか。」
「・・・いえ。」
ロッカーに寄りかかって腕を組みながら俺の話を聞いていてくれた宍戸さんが
口角をあげ笑みを見せる。
「じゃあ冤罪ってなんだ。」
「・・・ぬれぎぬ。無実の罪のことですよね」
「この詩に元々題名はなかった。この詩は手紙だったんだ。作者が妻にあてた。」
俺の手には冤罪の詩が載った教科書。
宍戸さんから少し離れたところでロッカーに寄りかかっている俺。
「戦争に行った作者が無事故郷に戻ってきたとき、自分の妻に会うことができなかった。妻はどこにも見つからなかった。」
「・・・・・・・・・・」
「作者は差出人のいない手紙を書いた。妻にあてた手紙だ。その手紙の一節がこの詩。」
「・・・・手紙」
「戦後しばらく経ってその詩は文芸雑誌に掲載された。このときもまだ無題のまま。」
宍戸さんの目線は下を向いていた。
一つ一つ思い出すように俺に話してくれる宍戸さんから
俺は目を離すことはしなかった。
「そしてその雑誌を偶然妻が目にする。その詩を自分の夫が書いたことがわかった」
「・・・生きていたんですね。」
「ああ。疎開先で、夫に。作者に会える日を待っていた。」
不思議と手にある教科書を持つ手に力がはいる。
「妻は一通の手紙を書いた。それを持って作者に会いにいったんだ。」
‘引いては寄せる人ごみの中でもう一度。
お会いできる日を待っていました。
あなたにお伝えしたいことがあります。
あなたのそれは無実です。
あなたが咎められるべきことなど、何一つない。
もしも私に咎められるべき罪があるなら
あなたにぬれぎぬを着せたことでしょう。
あなたを哀しませたことでしょう。
もしも私に咎められるべき罪があるなら
今もあなたを想い続けるこの想いでしょう。
もし与えられるべき罰があるというなら
どうかあなたではなく私に。
ですが、私のこの告白を聞いて
あなたはきっと怒るのでしょう。
怒って、次の瞬間には思い切り泣いて。
そしたらあなたは、
それこそ冤罪だと
そう言って笑うのでしょうね’
「・・・・・だから冤罪と、つけられたんですね・・・・・・」
「・・・・・なあ、長太郎。はお前の罪をなんて言うと思う。」
「・・・・・先輩、は・・・・・」
きっと、あなたは。
「作者の妻と同じだと思うぜ?作者と同じだと思う。」
‘冤罪’
「きっと笑いながら長太郎に咎められるべき罪はないって、そう思わせた自分のほうがいけないって。」
もしも僕に咎められるべき罪があるなら
「守れなかったんじゃない。お前のせいじゃない。」
あなたを傷つけたことだろう。
あなたを泣かせたことだろう。
「って言うかそう思っとけ。」
「宍戸さん・・・・・」
「俺も思ったことがある。・・・もしかしたら守れたかもしれないって。」
もしも僕に咎められるべき罪があるなら。
「でも、きっとは笑ってそんなことないって言ってくれてるだろ?だから冤罪だって思っとけ。」
「・・・冤罪」
「そう思ってたらきっとあいつは笑ってくれてる。」
あなたを守れなかったことだろう。
「あのっ先輩!」
「ん?」
「さっきはそのっ・・・・・すみませんでした。」
「何が?」
「先輩に俺の気持ちはわからないとか・・・・その・・・・」
「ああ。」
「そんなこと思ってないですから!先輩がいつも見ててくれてるのすごく、支えられてます。」
「・・・・嘘ばっかり」
「ホントです!あのっもしかしてまだ怒ってます?」
「さあねー」
「先輩!すみませんでした!!」
「んー・・・そうだなぁ・・・・」
これは、忘れられない罪。
でもきっとあなたは。
作者の妻のように
作者のように。
「長太郎が強くなるって約束してくれたから許してあげよう」
それは冤罪だと
そう言って笑ってくる。
きっと。
あなたは。
「・・・よぉ、お前ら。ダブルスのペアが2人そろってサボりとはいい度胸してるじゃねえか。」
「げっ。跡部!!」
「なんや。2人ともジャージに着替えとるのに部活拒否なん?」
「くそくそ激ダサだな!宍戸。鳳。」
「向日ー。その使い方は変だC-。・・ぐー」
「起きてください!芥川先輩!!」
部室のドアが開いて整然と並んでいるレギュラー陣。
「宍戸。鳳。今日ラケット握れると思うなよ」
「ちょっと待て!跡部!!」
「問答無用だ。」
じろっと俺を睨んだ宍戸さんに
冷や汗の俺。
何よりも部活が終わってからの練習が怖い。
部室から出て行った先輩達を宍戸さんが追いかける。
俺は手に持っている教科書を自分のロッカーにしまった。
「・・・・・・・‘冤罪’か。」
笑って、いますか?
笑ってくれていますか?
俺に強さをくれる人。
「勝手に、思ってます。無実だって。」
大丈夫。きっと許される。
もう一度、強くなると誓ったから。
見ててください
見ててください。
今も俺の好きな人。
もしも僕に咎められるべき罪があるなら
あなたを傷つけたことだろう
あなたを泣かせたことだろう
もしも僕に咎められるべき罪があるなら
あなたを 守れなかったことだろう
「長太郎!急げよ!!」
「あっ!はい、宍戸さん!!」
もしもあなたが笑っていてくれるなら、
これは、冤罪。
end. 気に入っていただけましたらポチッと。