丸井くんに、何も変わった様子はなかった。



桑原君の頭をラケットで小突き、笑っている姿の丸井くんがそこにあった。



休憩時間になればタオルもドリンクも受け取ってくれた。



でも、目をあわすことは一度もなく。



他のレギュラーみたいに一緒に話すことはなく。







「・・・・・・・・・・・・・・・・」







気付いていた。



あたしと丸井君の間にいつの間にかできていた溝は、



とても深いものになっていたこと。








































『8分前の太陽16』









































赤也が柳君に話しかけた。





「仁王先輩が丸井先輩と試合したいそうっすよ。」





柳君はわかったとだけ言うと、真田君の元へ向かった。



あたしは驚くだけで何も出来なかった。



仁王君と丸井君の試合が終わったのか。



何か異変があったように見えた一番奥のコート。



仁王君と丸井君の動きが止まり、音も風も止まってしまったかのように見えた。



丸井くんは他のレギュラーが練習するコートに戻ってきたけれど。



仁王君はずっと、一番奥のコートで1人で打っていて。



休憩時間になってあたしはドリンクとタオルを持って仁王君のところに行こうとしていた。




‘知らないフリ。できるな?’




(・・・・・仁王君は、どうして。)




どうしてあんなことを言ったのか。



不審で。不信で。



なのに、仁王君の謝る声が、私の名前を呼ぶ声が



なぜかとても寂しくて、優しく聞こえて。



私はうなずいた。



そっと握るのは丸井君に掴まれていた腕。





「・・・・・・・・・・・・・・」





丸井君が赤也と話しながら笑っているのが見えた。



仁王君以外のレギュラーにドリンクとタオルを渡し終えた私は、仁王君の分のドリンクとタオルを手にする。



それを仁王君のもとに持って行こうと、一番奥のコートに向かって歩き出した時だった。





。」


「・・・何?柳君。」


「仁王には持って行かなくていい。」


「え?」


「・・・・・・うちの詐欺師が1人で打ち続けているときは悪巧みの最中だ。」


「わっ・・・悪巧み・・・?」





柳君があたしの肩にポンッと手を置いた。



あたしの手には、仁王君用のドリンクの入った水筒とタオル。






「・・・悪いことかどうかは知らないが、考え事をしてるらしい。」


「・・・・・・・・・・・・・・・」






柳君が行かなくていいと言うので、



まして、



その肩に置かれた手が、行くなと言っていた気がしたから。



仁王君にドリンクとタオルを渡すのは断念した。



私は部活の最中は仁王君と話すことはなかった。



休憩が終わって後半。



仁王君のいる奥のコートに、ダブルスの練習のために向かっていく、柳生君、桑原君。それから、丸井くん。






「・・・・・・・・・・・・・・」






丸井君の横顔が、



今日、部室で見た表情に似て、なんだか辛そうだった。



見ていたかぎりでは、ダブルスの練習をする4人に、いつもと違った様子はなかった。





























































































































「・・・・・仁王くん。」


「・・・・・お疲れさん、。」



































































































































































































一日の部活が終わり、片付け。



レギュラーや他の部員はコートから部室へと入り、



あたしは用具庫に道具をしまい終える。



着替え終えて、次々に部室から出てくるレギュラーのみんなに、あたしはいつも通りの挨拶を交わす。





「お疲れ様、柳君。柳生君。」


「気をつけて帰れよ、。」


「お疲れ様でした、。」





コートに吹く風が心地いい。



コートにブラシをかけ終える。





「お疲れ様、真田君。桑原君。」


「ああ。」


「また、明日な。。」





裏庭の桜の花びらが時折コートにやってくる。





さん、お疲れ様!」


「・・・お疲れ様!赤也、丸井君。」


「・・・・・・お疲れ。」





赤也があたしに振り返りながら手を振って帰っていく。



赤也の隣を歩く丸井君は、振り返ることもなく。



・ ・・今日も一度も目が合うことはない。



気付いていた。





「・・・・・・・・・・・」





いつの間にかあたしと丸井君の間にできた溝は



とても深いものになっていたこと。



今日の部室での出来事。丸井君はすぐに部室から走り去ってしまった。



辛そうな、顔をして。




(・・・・・ねえ、丸井くん。)




気付いていた。
































あなたは一度も、あたしの名前を呼んだことがない。









































あたしは、やっぱり丸井君に辛い思いをさせるしかできないのか。



同じ名前だから。



丸井君が、想い続けることを決めたなら。



私の、名前の存在は。



丸井君の中でどんなものになっているのか。





「・・・・・・・・・・・・・・・・」





考えても、わからなかった。




<ガチャッ>




「・・・・・仁王くん。」


「・・・・・お疲れさん、。」





部室のドアが開く音に振り返る。



部室から最後に出てきたレギュラーは仁王君だった。



仁王君はあたしの前までくると、静かに瞼を閉じてあたしを通りすぎていく。





「まっ待って!!」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・なんで・・・丸井君と試合したの?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・」





あたしを通り過ぎ、こちらに背中を向けたまま仁王君の足が止まる。



春風にその銀髪をなびかせながら、



ゆっくりと仁王君が振り返った。














「・・・・・・・丸井に、気付かせたかったんじゃ。」


「・・・・・・・何を?」













静かに。仁王君が笑う。



優しくて、ほんの少しだけ寂しい笑顔で。









「ありがとな。。笑ってくれて。」


「・・・仁王君?」


「・・・・もう少しでいいから、知らないフリ。しててくれん?」









わからないのは、いつもだ。



仁王君の考えること。





「・・・・・・うちの詐欺師が1人で打ち続けているときは悪巧みの最中だ。」





・ ・・悪いことかは知らないと、柳君は言っていた。



仁王君はいつも詳しくは話してくれない。



でも、



仁王君が考えていることが、どうしても悪いことではない気がするのは、



その声が、とても寂しくて、優しいから。



これは、彼のかける詐欺なのか。



仁王君が見せる微笑にあたしはただただうなずいた。



再び吹いた暖かい風に仁王君が押されたかのように、



あたしの目の前まで足を進める。



あたしの顔を覗き込むように笑えば、いつものようにその手をあたしの頭にポンッと載せて撫でる。






「ありがと、。また明日な。」






かすれた声と妖艶な笑みを残し、去っていく仁王君。



しばらくの間、あたしがそこから動けなかったのは、



明らかに仁王君のせいだった。
















































































































































































































































































レギュラーが帰り、ギャラリーの女の子達が帰ると、



あたしはジャージから制服に着替えて、部室に入って部誌を書き終える。



これで戸締りをすれば、一日のマネージャーの仕事は終わりだ。



部室の鍵を閉め、鍵を部室近くの茂みの石の下に隠す。






「これでよしっと。」






思わずの独り言は、一日の仕事の終わりを告げる。



部室からでて感じた外の空気は、なんだか少しいつもより暖かい。






「・・・・・・・・・・・・」






そっと、自分の腕を押さえた。



丸井君に掴まれた手を。



その感触はもう消えていたが、少しの痛みを感じていた。



熱さと言うよりは温かみを感じていた。



切ないような、悲しいような、寂しいような。



とても苦しい気持ちが胸に迫ってきていた。



・・・知らない、フリを。



丸井君は、あたしの名前を呼ぶことはないけれど。





「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」





彼女の名前は呼ぶ。



もう、亡くしてしまっているのに。



丸井君に想われているあたしと同じな名前の彼女が、羨ましかった。




(・・・・勝手だな。)




勝手だな、あたしは。



悔しくて。



彼にかける言葉も力もない自分が悔しくて。



静かに、瞼を閉じた。




































































































































































































「・・・・さん?仕事終わりました?」



「・・・え?」

















































































































































































突然聞こえた声に、急いで開けた瞼。



目の前にいきなり現れた顔に、あたしはものすごい勢いで後ずさった。






「・・・それひどいっすよ。俺かっこいいのに。俺ナイーブなのに。」


「あっ・・・・・赤也?!帰ったんじゃ・・・・」


「へへっ戻ってきちゃいました。」


「わっ忘れ物?」


「何言ってんの。違いますよ。」






赤也から距離をあけたあたしに、



悪戯っぽく笑いながら、赤也が近づいてくる。



あたしの前まで来ると、まるでさっきの仁王君のように、少しかがんであたしの顔を覗き込む。














さんと一緒に帰りたいなぁと思って。」



「え?」



「・・・ダメっすか?」













こういうときに赤也が見せる表情はかわいい。



制服のポケットに両手を入れて、覗き込むように上目遣い。



小首をかしげて、見つめてくる。



これは嘘の赤也だ。



赤也はもっと生意気だ。



いつもはこんなにかわいくない。



子供みたいにあどけなく笑うときは、年下だなぁなんて思うこともあるけど。



それだって本当に時々。






「家まで送りますから。ね、さん。」


「・・・・・・赤也。」


「はい?」


「・・・・離れて。」






赤也が次第に近づいてくるのがわかっていた。






「・・・さんがいいって言ってくれるなら。」


「・・・・わかったから。だから離れて!!」


「へへっ・・・・・」






断る理由が見つからなかった。



見つかったとしても、赤也に丸め込まれる可能性が大きいのはわかっていたから



あえて反抗はしない。



赤也があたしの先を歩き出す。



その場に足を止めたままのあたしに、赤也が振り向いて手招きをする。



赤也はあたしが自分の隣に来るまで待っていてくれた。



赤也が再び「へへっ」笑うとあたしも思わず噴出してしまい。



2人で帰り道を歩き出した。






















「赤也、家どこなの?」


「この道真っ直ぐ行って。左でまた真っ直ぐ。」


「・・・どこを左?」


「心配しなくてもちゃんと送りますって!!」


「・・・・(そうじゃなくてね。)」


































帰り道は川原に沿って土手沿いの道路。



赤也が今日学校で何があったとか、とても大げさに話してくれるのでおかしかった。






「それでその国語教師、どうしたと思います?」


「寝てる赤也の頭を叩いたとか?」


「チョークっすよ!チョーク!!チョーク投げてきて、俺の頭に直撃!すげー古典的なんすよ!!」


「・・・寝てる赤也も悪い。」


「わかってるんすけどねー。眠いものは眠い!」






夕日の赤が川の水面を染め上げる。



川原にも学校の裏庭のように桜の木がところどころ生えている。



今日は風がよく吹く。強くはないけれど、暖かく、桜の花びらをさらうには十分なようで。



まだ花をつけている川原沿いの桜の木から、



時折花びらが舞ってきていた。






「・・・・さん。」


「・・・・・・・」


さん!!」


「あっ・・ごめっ・・・・」


「・・・・・俺の話聞いてました?」


「・・・・・・・ごめん。」






赤也はさっきから話を続けていてくれていたのか。



あたしは土手沿いの道路から川原の桜を見下ろしていて話を聞いていなかったらしい。





「・・・え?」





赤也がいきなりあたしの腕を掴んで、足を止めた。
















「ダメじゃないっすか。俺の隣にいる時は他のこと考えちゃ。」



「なっ・・・・・!」



「俺のことだけ考えててよ。」















赤也の目が真剣で。



顔が笑っていない。



あたしは見たこともない赤也の表情に思わず息を飲む。



・・・だっ騙されちゃダメだ!





「なっ何言ってんの!!」


「あははっ・・・さん赤ぇー。」


「赤くない!」





赤也に掴まれていた腕を思いっきり払って、赤也を置いて歩き出す。



さっきよりも少し早足のあたし。





「・・・さん、ちょっと待ってくださいよ。」


「・・・・・・・・・」


「ちょっ・・・怒ったんすか?」





赤也に、掴まれた腕が。



丸井君に腕を掴まれたときを思い出させる。





「・・行くな・・・・どこ・・・にも・・・・・」





さん?」


「・・・・・・・」


「すみませんでしたって!怒らないでくださいよ!」





「・・・・だいじょ・・・・・ぶ・・・・・・・大丈夫だ・・・・・・・・・・」
































































































































































































































































「・・・・・・ちゃんと、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・好きで・・・いるから・・・・・」
































































































































































































































































































「・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・さーん!!」







赤也があたしの顔を覗き込む。



あたしは、触れる程度に腕を押さえ。



赤也をからかってやろうと怒っているフリをしようとしたそのとき。



あたしの目の前を、白い軌跡が横切った。





「・・・・さん?桜の次は蝶?」


「・・・・最近、よく見るんだよね。なんでかな。」


「ふーん。」





かすかに、腕が熱くなる。



白い蝶があたしと赤也の周りを一周するように羽ばたき、



夕日が染める川面に向かって飛んでいった。



赤也をからかおうとしていた悪戯心は、突然の儚い羽ばたきに奪われてしまったみたいだった。







「・・・・・・・・・あのときも、飛んでましたよ。」


「・・・・え?」


「・・・・周りは全部赤いのに、あいつだけが白くて。」


「・・・・・・・・・・赤也?」







赤也が、再び足をその場に止めて。白い蝶が飛んでいった後を目で追っていた。



赤也から少し離れたところであたしも赤也にあわせて足を止めた。



赤也は、あたしの方を見る。



目をあわせると、真剣な表情であたしを見据え。








「赤也・・・・」



「・・・なんか、あったんすか?」



「・・・・え?」



さん、知ってる?」



「・・・・・・・・・・」



「仁王先輩と丸井先輩。なんで試合したんすか?」








鋭い瞳は、あたしが目をそらすことさえ許さない。



赤也は何を知りたがるのか。



きっと、あたしと一緒に帰ろうとしたのは、本当はそれが聞きたくて。




「・・・・もう少しでいいから、知らないフリ。しててくれん?」




(・・・仁王くん。)




赤也が、あなたと同じ目をしてる。



寂しくて。優しくて。



丸井君に握られた腕が、少しだけ痛くなる。





「・・・・ただの、練習じゃない?」


「・・・誰かに言うなって言われました?」


「・・・・・・・・」


「仁王先輩とか?」


「赤也っ・・・・・」





知らないフリを、するように。



仁王君は、何か考えていたから。



あたしには、何も出来ないけれど。



仁王君が何かやろうとしているなら、



それが丸井君のためになるなら。







「・・・・・・・・ダメじゃないっすか。俺の隣にいる時は他のこと考えちゃ。」







赤也が、あたしに近づく。







































































































































「俺のことだけ、考えててよ。」





















































































































































































































































「・・・赤也?」


「俺は知りたい。お願いだから、さん。」






赤也がうつむく。



あたしの目の前に立つ赤也。



表情はわからなかった。



冬からだいぶ日は長くなって、なかなか沈まない。



夕日が赤也の横顔さえも染め。



あたしは、赤也が顔を上げてくれるのを待っていた。



・ ・・・・心配。



丸井君と仁王君を心配している。



それとは、なんだか違う気がした。



なんだか、それに似て、それではない気がした。






「・・・ねえ、さん。」






赤也が、顔をあげる。






「俺は全部知ってなくちゃいけないんだよ。」


「・・・・・・・・・」


「何か、あったんでしょ?」


「・・・赤也。」


さんは、知ってるんでしょ?」






どうして。



どうして、全部知ってなくちゃダメなの?



ねえ、赤也。



どうして、そんなに苦しそうな顔をするの?



赤也の瞳の奥に、哀しみを見つける。



それはあたしの思い過ごしなのか。






「・・・・なんで、あたしが知ってるって思うの?」



「・・・・・2人が試合してるとき、仁王先輩も丸井先輩もさんのこと気にしてましたよ。」



「・・・え?」



「・・・気付きませんでした?」







赤也が、ふっと笑った。




「・・・・もう少しでいいから、知らないフリ。しててくれん?」




(・・・仁王くん。)




赤也が、あなたと同じ目をしてる。



仁王君の瞳には見つけられなかった、哀しみさえも携えて。



そっと、腕を握った。



丸井君に掴まれた腕を。






「・・・・今日ね。」






そっと、声にした。



震えながら声にした。



時折赤也と目をあわせながら、時折川原の桜に目を移しながら。



知らないフリ。



赤也にはできそうもなかった。



泣きそうになった。



腕は、熱くて、痛くて。



丸井君の想いが蘇って。丸井君の声が、言葉が蘇って。



涙を、必死に胸に繋ぎとめた。



丸井くんの言葉を声にしながら。




































































































































































「・・・・・・・・バカだ。」



「・・・・赤也」



「・・・・バカだ。・・・ホントに。」






夕日が今にも沈もうとしていた。



赤也はあたしをずっと目に映していた。



あたしは、赤也と目をそらすことも出来なくて。



2人、向かい合ったまま。



赤也が自嘲するかのように、かすかに笑った。






「あの人。・・・・どこまでバカなんだ。」






寂しくて。優しくて。



その目は、哀しみを携えて。


































































































































































「どんなに想ったって、もう、どこにもいないのに・・・・・・・。」















































































End.