あの日。







「・・・・・・・・・・・冗談っすよ」


「・・・赤也・・・・・・・」


「・・・・・・冗談、だから。さん。」


「・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・お願いだから」








赤也は、ずっと私を抱きしめていた。



赤也の表情は、ずっと見えることはなかった。



私が泣き止むまでそうしていてくれた赤也は



私が、「帰ろう」と涙声で言えば、



そっと体を離して、静かに笑って見せてくれた。
























「泣かないでください。」























































『8分前の太陽22』



















































誰とも、顔を合わせたくなかった。



柳くんが、私が片付け終わるのを待っていると言ってくれた。



私は、真田君の部活の終わりを告げる声のあと。



レギュラーのみんなが部室の中に入るのを見届けると、



いつもよりゆっくりとコートの上を片付け始める。



脳裏に、さっきまで目にしていたみんなの背中が浮かんだ。



銀や、・・・・赤の髪色。






「・・・・・・・・・・・・・・・・」







ずっと、怖かった。



丸井くんと目を合わせること。



丸井くんと言葉を交わすこと。



きっと、



私は丸井くんに、嫌な思いしかさせない。



勝手なことばかり言って、



丸井くんのためになることは何かって考えたって、



結局は、嫌われたくないと思う、自分のため。





(・・・・・誰にも。)





誰にも会いたくなかった。



できるだけのろのろとコートを整理して、片づけをして。



いつもなら、レギュラーのみんなが帰り始める時間には



部室の周りで片付けの最後のほうにとりかかるけど、



できるだけそうならないように。



いつもなら、みんなが帰る時、お疲れ様や、また明日を言える位置にいるけど



できるだけそうならないように。



誰とも顔を合わせたくなかった。



誰にも会いたくなかった。






(・・・・泣くつもりなんてなかったのに。)






こみ上げてくるのは、



いつも涙。



こんな自分は嫌だ。



ただ、ずっと、怖かった。











怖かった。











転びそうになって、丸井くんが助けてくれたときも



私は、丸井くんの傍にいてはいけないのだと



そう思ったら、



また、丸井くんに辛い想いをさせてしまうのだと



そうとしか、思えなくて。



傍にいては、いけないのだと思ったら。



悲しくて、辛くて。



本当に自分勝手な私は、



気付いたら泣いていた。



勝手に。誰も、悪くないのに。



丸井くんも。誰も。



あげく、また赤也と丸井くんの仲を険悪にしたのは私。







(・・・・・・私だ。)







レギュラーの他のみんなもあの状況をしっかり見ていたはず。



コートで練習が始まってしまえば、そんなことなかったかのように振舞えるけど。



でも。



なかったことにはできない。



誰とも、顔を合わせたくなかったんじゃない。



誰にもあわす顔がなかった。



誰にも会いたくなかったんじゃない。



誰にも会えるわけがなかった。



だって、私は。



私は、みんなの役にたったことがあっただろうか。



私はいつだって、みんなの仲を悪くする要因にすぎない。



同じ、名前だから。



・ ・・・同じ名前だから。








<ガチャッ>








部室から遠くはなれたコートで部室のドアを開ける音がした。



・ ・・・早く。



早く、みんな。



会いたくない。



会えないから。



ゆっくりと片づけをして、



部室からわざと離れたところにいた。



誰とも、顔を合わせたくなかった。


























































































































































































「柳先輩、まだ帰らないんすか?」


「ああ。・・・ちょっとな。」


「・・・・・・さん、待ってるんすか?」


「・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・俺が待ってちゃダメ?」


「・・・ダメだ。早く帰れ。」


「・・・・・・・・・・・・・」


「それからできるだけ、部室の中にいる他のレギュラーにも早く帰るように促してこい。」


「・・・なんで。」


「・・・俺とて、もう泣かせたくない。」


「・・・・・・・・・」













































































































































遠くで聞こえる話声と、部室のドアの開け閉めの音。



それから足音。



それだけが頼り。



できるだけ部室の方を見ないように。



できるだけ遅く。



みんなが帰るまで。



見上げた空は、赤く染まり始める。



もう、夕方。



今日は一日が長かった。



そう思えた。



ずっと、怖かった。



赤也とは、いつも通りに接することが出来たけど。



丸井くんとは、そうはいかなかった。



だって、



私は、丸井くんに辛い想いをさせることしかないのだから。




















「・・・・・・。」



「(!)柳くっ・・・・・」



「あとどれくらいで終わる?」



「あっ・・・・えっと・・・・」



「もう部員はみんな帰ったぞ。」



「え・・・・・・?」





























突然の背中のほうからの声。



急いで振り返れば柳君がそこにいた。



柳くんの声に、コートの周囲をキョロキョロと見渡せば、



いつもの女の子達のひしめくギャラリーの姿がなければ、他の部員の姿もなく。



ただ、夕日に染まるコートの上に私と柳君の2人の姿があるだけだった。






「・・・・レっ・・レギュラーのみんなは?」


「・・・もう帰った。今日は一段と弦一郎のスパルタが多かったからな。疲れたんだろう。」


「・・・そっか・・・・・。」


「・・・・部室の中で待ってるから、終わったら顔を見せてくれ。」


「(!)ごめんね、待たせて!すぐ終わるから!」







柳くんは、私の言葉に静かに笑った。



綺麗に口角を上げて微笑んで、



私の頭にぽんっと手をのせる。



そのまま少し頭をなでる柳君。



私は仁王くんによってなれてしまっているその柳君の行動に、



首をかしげるしかなかった。











「あせらなくていい。ちゃんと待ってる。」











ゆっくりと頭から離れた手。



柳君は私に背を向けると、そのまま部室に向かっていく。



私はしばらくその背中をぼーっと見つめると



はっとして急いで片づけを終える。



ネットとボールをすべて用具庫へ。



コートにブラシをかけて、最後の確認。



審判台や、ベンチの上に何か忘れ物はないか見渡し、



用具庫の鍵を確認。



コートの入り口に鍵をかけると部室に向かう前に、



マネージャー専用の更衣室に入ってジャージから制服に着替える。



いつもはしない、マネージャーの更衣室の確認をし



忘れ物はないか、それを見て



ジャージを持ってきていた袋に入れると部室に向かった。











「・・・・・柳君。」


「少し急ぐぞ。面談できる時間も限られているからな。」


「うん。付き合ってくれてありがとう。」


「・・・いや。病院に連れて行くだけならなんてことはない。」











柳君とあたしが部室を後にすると部室に鍵をかけ



部室近くの茂みの石の下に鍵を隠した。



柳君は日常でもあまり多くは話すほうじゃないと思う。



必要なことと、たまに自分が疑問を持ったとき。



それくらいしか声にしない。



あとは、レギュラーのみんなの雰囲気を和らげるためだとか。









「幸村君の入院してる病院って遠いの?」


「学校から歩いていける距離だ。」


「そうなんだ。」









ぽつりぽつりと。



たまに話題を引き出しては2回か3回くらいの掛け合いでまた沈黙。



でもなぜか、それさえもとても優しく思えるのは、



柳くんの力なのか。



歩く道は、街中へ。



空はだんだんと赤を下にさげ、紫が空の上から覆いかぶさろうとしていた。



とても綺麗な空が、やけにうれしい。



うれしくて、心に小さなわだかまりを落としていく。






「・・・体調でも悪いのか?」


「・・・・・え?」


「この間の買出しに行かせたときからそうだ。ずっと顔色が悪い。」


「・・・・・ううん。大丈夫。」






背の高い柳君の顔を見上げれば、



柳君は真剣な表情だった。



私は、かすかにうつむいて、



ちょっと笑ってそう答えた。



少しの沈黙のあと「そうか」と柳君の落ち着いた声が頭に降ってくれば



私はもう一度柳君を見上げて精一杯笑った。



心配してくれてありがとう。



それからごめんねと。



それが伝えたくて。



柳君は口角をあげて微笑んで見せてくれたけど、



私にはそれが苦笑いに見えて仕方がなかった。


























たどり着いた幸村君が入院していると言う大きな病院。



柳君が勝手知ったるでどんどんと病院内を歩いていくので



私はそのあとをあせりながらついていく。



長い廊下。



一つの病室の前で柳くんが止まると、私に目配せをする。



私はその病室の前にある部屋の番号と名前を確認する。






‘112号室 幸村 精市’






幸村君の名前を見た私は、柳君を見上げた。



柳君がかすかにうなづき。



私は、片手を軽く上げて、112号室の閉まりきったドアをノックする。







<コンコンっ・・・>







「・・・・・どうぞ。」







ドアの向こう。



こもった声だったけれど、それは間違いなく幸村君のもの。



私はドアノブに手をのばすと、ゆっくりとそのドアを開いた。



急なお願いを柳くんにし、急に幸村君を訪ねたから、



少し申し訳ない気持ちでそろそろと病室に足を踏み入れる。











「(!)・・・。久しぶりだね。」



「・・・こっこんにちは幸村君。突然ごめんね。」



「幸村。」



「柳も一緒なんだね。」










私の後ろから柳君が病室に足を踏み入れる。



私は病室に入ったものの、入り口付近から足を動かすことはできずにいた。



久しぶりに見た幸村君の笑顔は変わっていなかった。



ふふっと私を見て笑う幸村君のベッド近くに、



柳君は病室にあった小さなイスを2つ持ってきた。






、おいで。柳と一緒に座りなよ。」


「あっ・・・うん!」


「元気そうだな、幸村。」


「おかげさまでね。部活の様子はどう?」


「変わりない。」


「それはよかった。」






病室の窓の外では、暗がりが空に落ちていた。



柳君の座るイスの隣にあるもう一つのイスに私は腰をかける。



慣れない真っ白な部屋と、制服姿じゃなくパジャマ姿の幸村君。



穏やかで静かな柳君と幸村君の話し声に



私は頬がかすかに熱く感じるほどの緊張感を覚えていた。







(・・・・変わりない、か。)







柳君の言葉に、私は違和感しか覚えなかった。



私の目の前では、めまぐるしく日常は動いていた。



確かに、コートの上では誰も変わりないけれど。



それは、入院中の幸村君に心配をかけまいとする言葉だったのかもしれないけれど。



うつむき始め、座る膝の上で手のひらを握り、拳を作っていた私。



幸村君は、そんな私にすぐに気付いてくれていた。






は?最近どう?」


「え?」


「クラスはうまくやってる?」


「・・・みんな、すごく仲良くしてくれるから・・・・。」


「マネージャーは?仕事は慣れたかい?」


「・・・うっうん!だいぶ!」


「ふふっ・・・よかった。」






(・・・・あ。)





よかったと笑ってくれる幸村君の笑顔が、



私の心を惑わせる。



・ ・・・いけない。



私がここにきたのは。



今日、幸村君に会いに来たのは・・・・。



幸村君の笑顔から視線をはずし、



再びうつむいた私は、震え始めた唇を隠すかのように口元に手を当てる。






「・・・・?」


「・・・・、俺は席を外したほうがいいか?」






柳君の声に私は首を横にふった。



どうせなら、柳君にも聞いて欲しい。



そう思った。



決めたんだ。



・ ・・・今日、決めたんだ。



だから、幸村君に会いに来た。



小さく深呼吸をすると、どっと鼓動が早くなった気がした。



口元から手を外し、顔をあげて、今自分が出来る精一杯の笑みを幸村君にむけた。






「・・・ごめんね!お花も何もお見舞いに持って来てなくて!」


「・・・いや。この時間ってことは、部活が終わってまっすぐに来てくれたんだろう?」


「・・・・・・うん。」






柳君の視線が、幸村君の視線が私にある。



それ以上、言い出すことができない。



幸村君からはさっきまで見せてくれていた笑顔が消え、



真剣な表情で、私を見据える。






(・・・・決めたんだ。)






今日、決めたんだ。



だから。







「・・・幸村。は今日、お前に話があってここに来た。」



「(!)柳くんっ・・・・・」



「・・・何?。俺に話って。」







目の端に映る窓の外では、ネオンの光が夜に浮かんでいた。



幸村君の鋭い視線が痛い。



柳君のほうを見ることはできなかった。



私はうつむき、固く目を閉じて、膝の上で再び手を握り締め、



深く深く息を吸い込む。








「あっ・・・あたしねっ・・・」







決めたんだ。



覚悟を、決めたんだ。




















































































































































































































































「・・・・テニス部、やめようと思う。」





































































































































































































































































































声にした途端。



こみ上げてくるのは涙。



零すものかと唇をかみ締める。



固く閉じていた目を開けて。



顔をあげて、幸村君を見据える。



零すものかと、



必死で耐える。










「・・・・。お前・・・」


「ごっごめんね、柳君つき合わせて!」


「・・・・・・・・・・」


「私がやめたって別に何があるってわけじゃないと思うんだけど!幸村くんに、ちゃんと言いたくて!それでっ・・・」









涙じゃなくて、笑っていよう。



理由だってちゃんと考えた。



柳くんは、私のほうを向いていた。



私は柳君に精一杯の苦笑いを見せると、視線を急いでそらす。



真剣な表情で、



けれど優しい目に私を映してくれていた幸村君は



静かに声を紡ぐ。








「・・・・、どうして?」


「・・・つっ疲れちゃった!レギュラーのみんなの練習に付き合うの忙しいし!朝早いし、夕方遅くだし!!」


「・・・それで?」


「・・・・みんな、勝手だし。・・・・みんな、わがままだし」








































































































































嘘だよ。



























































































































































「ほらっ!私、一回女の子達に呼び出されたでしょ?」





こんなの嘘だよ。






「あんなのたくさんだし!あれってテニス部に入ってるからだよね!」






嘘だよ。






「他の部活に入りたいなって!生徒会でもいいんだ!!」






嘘だよ。



嘘だよ。



本当は、



嘘だよ。






「とにかくもう、テニス部がいやなんだ!!」






本当は、































みんなの傍に、いたい。



































「・・・・それは、が決めたことなんだね?」



「・・・幸村。」



「柳、邪魔しないで。」








こぼれそうな涙を必死で繋ぎとめる。



必死で耐える。



笑え。



これが、答えだから。



幸村君の真剣な声、表情、視線。



いつも通りの笑顔を浮かべ。



私は。










「うん。テニス部、やめることにしたから。」










慣れない白い部屋。



心にわだかまりを落としていく。



本当は、



やめたくない。



最後までみんなのことを見ていたい。



みんなが夢を果たすところを。



けれど。



それは私ではダメなんだ。



私は、自分勝手。



本当に、勝手で。



わかっているのに、勝手なことばかり丸井くんに言ってしまう。



同じ名前の存在が辛い思いをさせてしまう。



私がみんなの間に溝を作っていく。



初めてみんなに出会ったときからそうだった。



それはこれからも同じ。



変えようなんてないのだから。


































「君が決めたことなら、俺は何も言わないよ。」


















































零す、ものかと。



























































「・・・ありがとっ・・・・幸村君っ・・・・・」


「・・・・。」


「・・・ごめんなさっ・・・・ごめんっ・・・・・」






ぽたぽたと、落ちていく滴。



必死で。必死で。



拭い去り。



何度だって拭い去り。



幸村君に、柳くんに、精一杯笑いたくて。



笑いたくて。







(・・・ごめんなさい。)






勝手だなんて思ってない。



わがままだなんて思ってない。



がんばってるみんなに比べたら、



私なんて疲れたうちにはいらない。



嘘だよ。



全部嘘だよ。



本当は。


















本当は。
















「・・・・辛い思いを、させたな。」
















柳君のその声に、



そんなことはないと、言いたかったのに。



喉がかすれて、うまく言葉にならなかった。



声にならないぶん首を横にふった。



私が、という名前じゃなければよかったんだろうか。



私が、立海に転入してこなければよかったんだろうか。



私が、元からテニス部に入らなければよかったんだろうか。



私が、丸井くんに出会わなければよかったんだろうか。



私が、私じゃなければよかったんだろうか。



どれか一つでも叶っていたなら、



きっと、誰も辛い思いなど、知りはしなかったのに。



きっと
























































































































































あなたが辛い思いをすることはなかったのに。
























































































































































































































これが、答えだった。



幸村君が、上半身を起こしているベッドから身を乗り出して、



私のほうへ手を伸ばした。



その手は優しく私の髪をすくと、私の頬にあった涙の痕をなぞった。



かすかに目を伏せて、幸村君は静かに微笑む。



私に視線を向けたまま。





「・・・柳。を家まで送ってあげてくれないか?」


「・・・いいよっ・・・そんなっ・・・」


「俺は元からそのつもりだ。」


「・・・・すまない、。」


「(?)・・・幸村くん・・・・?」





その綺麗で穏やかな笑みは



私の鼓動を一度大きく鳴らす。



幸村君が視線で柳君を促せば、



柳君は座っていたイスから立ち上がり、私の腕をそっと掴んで立ち上がらせる。



私は、柳くんに促されるまま。



幸村君の病室を後にしようとする。



何度も何度も幸村君に振り返りながら。







(・・・・・・・本当は。)








本当は。



さっき言ったことはすべて嘘なのだと、叫びたかった。



二度と涙を零さないように唇をかみ締め。



最後になるだろう幸村君の笑顔に振り返る。










「・・・・。」










きっと、わかっていたんだ。



幸村君にはわかっていたんだ。



全部、わかっていた。



やっと、それがわかったのは。



幸村君の最後の笑顔を見たときだった。



こみ上げてくるのは涙。



零すまいと必死だった。



その最後の声に、



零すまいと、必死だった。



























































































































「・・・今まで、ありがとう。・・・・。」




































































































































































































ねえ、嘘だよ。




































































全部、嘘だよ。







































































End.