丸井くんの姿を見た途端、気付いたらその名前が声になってしまっていた。 早く。 ・ ・・早くこの場から去らないと。 風が吹いて、花びらが舞う。 丸井くんがその場から立ち上がる。 ダメだ。 私ここにいたら、きっとまた。 あなたに辛い思いをさせる。 部活をやめたから、もう関係などない。 赤の他人。 「・・・お前・・・・・」 丸井くんの声が聞こえて、泣きそうになる。 ・ ・・早く、ここから逃げてしまわないと。 「おいっ・・・!」 叶わないと知っているからなのか。 丸井くんに会うたびに、想いばかりがつのっていく気がしてならない。 いつだって、泣きたくなるのはきっと。 哀しいくらい、あなたが好きだから。 走って、走って、走って。 なのに。 「待てよっ・・・・!!」 振り向かなくてもわかる。 その声でわかる。 掴まれた手でわかる。 丸井くんに足をとめられる。 ・ ・・振り向けるはずがない。 きっと泣いてしまうから。 「・・・なんで、やめたんだよ。」 「(・・・なんで。)」 「なんでマネ、やめたんだよ。」 なんで、そんなことを聞くの? 掴まれたままの手が痛い。 「・・・・俺が、近づくなって言ったから?」 「(・・・違うよ。)」 「・・・あれは、違ぇんだよ。あんなこと、思ってねぇし、言うつもりもなかったんだ。」 「(丸井くんのせいじゃない。)」 「俺だって・・・なんであんなこと言ったのか、わかんねぇんだよ・・・。」 いつもより、柔らかい声。 小さな声。 少し弱気で、何かに困っているかのよう。 「・・・・・やめるなよ。」 体の体温が上がった気がする。 離されない手から、丸井くんに伝わっていないか心配なほど。 その言葉が、うれしかった。 本当は、 (やめたくなんて、なかったから。) でも。 「・・・・なんで、やめるんだよ。」 引き止められる理由なんて 私にはありはしない。 「・・・・つっ・・・疲れちゃったんだよ!」 「・・・・・・・・」 「毎日、・・・・忙しいし・・・朝早いし、放課後遅いし・・・。」 できるだけ、バカにしたように。 今日、柳生君や赤也に向けたような言い方そっくりに。 「・・・もう、嫌になったから。・・・だからやめたの!単純でしょ?」 「・・・嘘つくなよ。」 「・・・本当だよ」 「そんなの誰も信じねぇぜぃ?」 「っ・・・・本当だよ!!」 「嘘つくなって言ってんだろぃ!」 丸井君の私の手を握る力が強くなる。 だって、しょうがない。 あたしがいても迷惑しかかけられない。 みんなの仲を不和にして。 そんなの、許されるわけがない。 「・・・本当のこと言えよ!」 「(!)丸井くっ・・・・」 丸井くんの手が私の手を強く引っ張る。 途端、目に入る赤い髪。 (・・・・・・ダメだよ。) 泣きそうだ。 振り向くつもりなんかなかったのに。 もう、丸井くんの姿なんか、見るつもりもなかったのに。 その手を力いっぱい振り払う。 丸井くんの手が私の手から離れる。 ・ ・・痛い。 (・・・泣きたくない。) 泣いてはいけない。 困らせたくない。 あげた顔。丸井くんと目が合った。 丸井くんが少し目を見開いて、私の顔を見てる。 ひらり、ひらり。 桜が舞ってる。 早く、散ってくれればいいのに。 そしたら、丸井くんと出会ったこの場所を思い出すことは 来年までないかもしれないのに。 何も言葉がない。 言いたいことも、聞きたいことも何もない。 言うべきことは何一つない。 だって、 傍にはいられない。 テニス部をやめて何の関係もなければ、みんなとは、丸井くんとは、赤の他人。 「・・・柳生と赤也、お前のところ行ったろぃ?」 「・・・・・・・」 「お前にやめて欲しくないって言ってたろぃ?」 静かに静かに丸井くんは話し始める。 私はまたうつむく。 だって、どうしたらいい? その声が、耳に届く。 「・・・レギュラーの奴らみんながそう思ってんだよ。お前に、やめて欲しくないって。」 足元に桜の花びらが敷き詰められている。 (・・・だって、) どうしたらいい? 私は、丸井くんの好きな人と同じ名前。 丸井くんは、ずっとその人のことを想っていて。 でも、テニスコートの上でだって、なんの支障もなかった。 ・ ・・そう、なんの問題もなかった。 普通に笑いかけてくれた。 普通に話しかけてくれるようになった。 なんの問題もないはずだった。 私が、丸井くんの好きな人と同じ名前だって。 ・ ・・でも、私は。 私は。 「・・・俺だって、お前にやめて欲しくないって思ってる。」 丸井くんのその言葉に、私は驚いて顔をあげた。 (・・・嘘。) そんなの、嘘。 ひらりと桜が舞っている。 春風が吹けば、桜の群れは騒がしさを増す。 丸井くんが、私に笑う。 それは、初めて見た笑顔にひどく似ていた。 私の心を晴らしてくれたあの笑顔だ。 (・・・・私は。) なんの、問題もないはずだった。 私が、丸井くんの好きな人と同じ名前だって。 丸井くんが、普通に接することを許してくれたなら。 でも、私は。 (私は) 今、わかった。 初めて見た丸井くんの笑顔の裏に、どこか寂しさを見て。 そうやって、寂しさ隠して笑うから。 私は、傍にいたいって思ったんだ。 傍に、いたいって。 笑って欲しいと、ずっと思っていた。 本当の笑顔を見せて欲しいと、心のどこかで思い続けていた。 でも、どうしたらいい? 「っ・・・・・・・」 「・・・俺が理由なら謝る。だから・・・」 「違う・・・。丸井くんは、悪くない。」 「じゃあ、なんでやめちまうんだよ。」 「・・っ・・・だって!」 どうしたらいいの? わかっているのに。 あなたは・・・・。 「・・・・・・」 私の言葉の続きを待つ丸井くんが、私をその目にうつす。 手のひらを強く握り締めて、私は再びうつむいた。 「・・・・だっ・・て・・・・」 私は、丸井くんの好きな人と同じ名前。 丸井くんは、ずっとその人のことを想っていて。 でもテニスコートの上でだって、なんの支障もなかった。 なんの問題もなかった。 普通に笑いかけてくれた。 普通に話しかけてくれるようになった。 なんの問題もないはずだった。 私が、丸井くんの好きな人と同じ名前だって。 何も、問題はなかったのに。 みんなの仲を不和にすることだってなかったはずなのに。 私は、 丸井くんが好きだから。 哀しいくらい、好きだから。 「・・・だって、なんだよ。」 「・・・・・・・」 好きだから、勝手なことを言う。 好きだから、丸井くんを傷つける。 好きだから、いつも気になって。 会うたびに、想いをつのらせる。 泣きたくなる。 叶わないと知っているから。 だから、傍にはいられない。 ひらり、ひらり。 早く散って、桜。 もう、思い出してはいけない。 「おい・・・」 「・・・本当、なんだよ。」 「・・・・・」 「部活をやめたのは、さっき言った理由のとおり。・・・もう、嫌なんだ。もう、戻ったりしない」 「・・・お前。」 けして顔をあげない。 うつむいたまま、そのままで。 もう、赤い髪は見ない。 見たら、こぼれそうで怖かった。 胸が張り裂けそうで、想いがあふれそうで。 丸井くんの顔は見れない。 だって、どうしたらいい? あなたが好きな人は、世界でただ1人。 もう、戻れない。 私はあなたを好きでいてはいけない。 この想いが、全てをダメにするから。 だから、けして見ない。 けして。 「・・・・嘘が聞きたいんじゃない。」 丸井くんの声が、胸を締め付ける。 足音が聞こえた。 さっきよりも私との距離を縮める丸井くんの足音。 うつむく視線の先に、私と丸井くんの靴が映る。 (・・・なんで。) 泣きたくない。 泣いちゃいけない。 困らせたくない。 だから。 「本当だけが知りたい。」 頭の上に降ってくる桜の花びらと、その声に、 私は思わず顔をあげる。 丸井くんは、私と目を合わせると 静かに静かに微笑んで。 そっと小首を傾げてみせる。 (・・・ダメだ。) 目に映る赤い髪、 耳に届くその声。 どうしたらいい? だって、あなたは。 どうしたらいい? どうしようもないと、わかっているのに。 こぼれる涙のわけは、とても単純なのに。 突然頬を伝う涙は、止めようもないのに。 「・・・・だって・・」 誰かが言っていた。 誰かを好きになって、誰かを強く想えば、人は強くなれるのだと。 でも、そんなの嘘だ。 「だって・・・・」 丸井くんの笑顔は、私の涙で消えてしまった。 きっと、困らせてる。 ・ ・・誰かを思えば強くなれるなんてそんなの嘘だ。 あなたを想うときの私は、 弱さばかりをこの身に纏う。 涙が、こぼれるくらい。 「・・・・丸井くんを好きになったら、・・・どうすればいい?」 それは、今このときだけは 世界で、もっとも言ってはいけないはずの言葉。 「・・丸井くんが・・・・好きです。」 涙と一緒に、想いがこぼれる。 拭っても止まってくれないそれを 私はどうすることもできない。 言ってはいけないとわかっていたのに。 声はいつも身勝手。 私はいつも勝手。 涙の向こうに、戸惑いを隠せない丸井くんの表情が見えた。 予想外の言葉に、きっと困っている。 (・・・ごめんなさい。) 私が困らせた。 だって、どうしたらいい? どうしようもないと、わかっているのに。 こぼれる涙のわけは、とても単純なのに。 哀しいくらい、あなたが好きです。 |