今でも、お前は。
なぁ、。
春が好きで、いるんだろうか。
『8分前の太陽28』
「ねぇ、ブン太。」
「ん?」
「・・・どうしてブン太の手は、私の手より大きいんだろう。」
満開の花をつけた枝が空に広がって。
それを見上げたまま。
突然思いついたみたいに、が声にした。
裏庭の、桜の群れの真ん中で。
一番大きな桜の木の根元。
2人して座り込んで見上げていた。
のその手を握り締めたまま、の横顔を見る俺を、
が見返すことなく、空を仰いでその目に桜を映しこむ。
の好きな桜を。
「・・・なんだよ、いきなり。」
「・・・・ただなんとなく。」
「なんとなく?」
「私はブン太の手が大きくて安心するけど、ブン太はそうじゃないんだろうなって思っただけ。」
「・・・・・・・・・」
それだけだというの疑問に俺は答えを持っていない。
俺は、さも俺の手がの手より大きいことが不服であるようなの横顔を見たまま。
は少し小首をかしげながらも空を仰いで桜を見たまま。
ただ、思い付きのように言われた言葉は、俺にとっては十分うれしい言葉だった。
「・・・。」
そっと、さっきから繋いでいたよりも強く手を握り締め、
確かに小さな手だと、の手を確認し。
の視線の先の桜を遮断するかのように、その唇を静かに奪う。
「がそう思うなら、それが理由でいいだろぃ?」
俺の手がの手より大きい理由なんて。
安心するって、お前が言ってくれるなら。
それが理由でかまわない。
桜じゃなくて、俺が映ったの目。
しばらく俺の答えに驚いたかのように丸くして、次の瞬間にはうれしそうに笑う。
の好きな春の中。
がうれしそうに笑うから、その小さな手をそっと握り返す。
俺の手がの手より大きな理由。
その正しい答えなんて、俺は知らない。
・ ・・・知らないけど。
「ブン太、髪に花びらついてるよ。」
「ん・・・とって。」
が俺に伸ばした手をそのまま引き寄せて
もう一度、唇を重ねた。
俺の手がの手より大きな理由。
その正しい答えなんて、俺は知らない。
・ ・・・知らないけど。
でも、思ったんだ。
俺なりに考えたその理由。
その理由が、
を守れるようにだったら、いいのに。
<ゴッ>
低くて鈍い音が、静か過ぎるコートの上で鳴る。
響きわたることもなく、
ただその音を、やけに俺の耳に残して。
「まっ・・・丸井くん?!」
「っ・・・・・・」
俺の右肩の下のあたり。
背中の半分に身をよじりたくなるような衝撃と鈍い痛み。
手のひらに少しずつ染みてくるこいつの背中の体温。
俺の足元に黄色いボールが一つ、転がっていた。
俺は固く目をつぶり、大きく息を吐き出しながら、
その痛みが去るのを待った。
思っていたよりもずっと小さくて頼りないそいつを、
かばうように抱きしめながら。
「(!!)丸井!」
「さん?!」
遠くで名前を呼ぶ声がする。
全力でこいつのところまで走ってきた俺は、完全に息が上がっている。
「あのっ・・・丸井くんっ・・・・・」
こいつには何があったかなんてわからないのだろう。
いまだ俺に抱きしめられた状態のまま。
高くあげたトス。
仁王がお前に向かって、ボールを打ってきたなんて。
仁王のその行動に気付いた俺は、とっさにこいつをかばっていた。
・ ・・気付いて、走って、かばって、ボールは俺の背中に当たり。
「丸井くん・・・まさかっ・・・・・」
俺の足元のボールに気付いたのか。
さっきよりひどく心配した色に変わったこいつの声。
(・・・ちょっと、待て。)
仁王の打ったボール。
背中に見事当たり、そのせいで肺に衝撃が走り、
うまく呼吸ができていないような、そんな錯覚に駆られていて
すぐにその場から動くことが叶わなかった。
けれど、こいつを早く、俺の腕から離さなければと思い、
うまくは動かない腕をゆっくりとほどいた。
俺の腕から離れたこいつと目が合う。
どくん。
どくん。
どくん。
(・・・・なんで、)
どくん。
なんでそんな、哀しそうな顔。
してるんだよ。
「さん!怪我ないっすか?」
「丸井、お前は?!」
合わさったままの視線。
そらすことのない目。
お互いが、お互いに。
そんな俺とこいつの間を
状況に気付いて心配したレギュラーたちが続々と埋めていく。
ギャラリーも他の部員もいない静かなコートの上を、少しの騒ぎ声がうるさくする。
「・・・わっ・・・私は、大丈夫・・・・丸井くんがっ・・・・」
どくん。
(・・・・・よかった。)
どくん。
どくん。
間に合って、よかった。
怪我が、なくて。
よかった。
どくん。
周りでレギュラー達が口々に心配の言葉をかけてる。
あいつにも、俺にも。
でも俺には、なぜかその言葉たちが妙に遠くから聞こえていた。
合わさったままの視線。
そらすことのない目。
お互いが、お互いに。
さっきまではあれほど距離のなかった距離を、レギュラーたちが作ってくれた。
ほんの少し離れた場所で、似通った言葉をかけられる。
目をあわせたまま。
どくん。
(なんで。)
どくん。
・ ・・どうしてあいつは。
あんなに哀しそうな顔をしてるんだろう。
・ ・・・俺が。
・ ・・・俺が、そんな表情をしているとでも言うんだろうか。
どくん。
どくん。
「・・・そんなにが気になるのか?」
いつの間にここに来ていたのだろうか。
さっきと同じ言葉が、仁王の俺にしか聞こえないほど小さな声で、俺の耳元で聞こえた。
俺は仁王を睨み見る。
仁王は俺に、最悪だと言い返したくなるような、あの不敵な笑みを向けた。
(・・・違う。)
必死、だっただけで。
俺は、お前があいつに向けて打とうしていたから。
だから、必死だっただけで。
どくん。
どくん。
(・・・それだけだ。)
仁王の笑みが気に障る。
仁王の言葉が気に障る。
胸に覚える痛み。
刃をつきつけられるような。
胸をえぐりとられるような。
そんな、痛みを。
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
違う。
(・・・考えたくもない。)
考えようなんて、思わない。
合わさった目。
あいつが俺から目をそらして、そのままかすかにうつむいた。
・ ・・誰かに握り締められるように、胸の痛みがつのる。
(・・・考えたくない。)
どくん。
どくん。
考えたくもない。
どくん。
どくん。
うるさい鼓動。
押さえるかのようにジャージの胸の部分を握り締めた。
周りのレギュラー陣の声が遠くで聞こえる。
誰が俺に何を言っているのか。
それさえよくわかっていない。
どくん。
どくん。
・ ・・・うるさい。
おさまれ。
黙ってろ。
ぎりっと握り締めた手のひらが、かすかに震え、熱を持ってる。
体温の調節がきかない。
あいつに触れた手のひらが熱い。
どくん。
うるさい。
おさまれ。
黙ってろ。
おさまらないならいっそ、
止まってしまえ。
(・・・考えたくない。)
考えようなんて、思わない。
鳴り止まない鼓動も、
うるさい心音も、
目が離せないことも、
目がそらせないことも、
泣かせたくないとか、
笑っていて、欲しいとか。
そんなこと、思う理由も全部。
「・・・そんなにが気になるのか?」
そんな、理由。
考えようなんて、思わない。
どくん。
体温の調節がきかない。
あいつに触れた手のひらが熱い。
どくん。
どくん。
・・・熱い。
空がいつの間にか、自らを赤く染めようとしていた。
始まりから終わりまで、聞こえる声は俺たちだけのもの。
見えるものは俺たちだけのもの。
ボールが背中に当たった俺を、柳はしばらくベンチに座らせていたが、
俺自身、ボールに当たったことに関しては痛みさえひけば問題はなく、
すぐに部活は再開する。
・ ・・けれど。
あいつが。
・ ・・あいつが時折、苦しそうな顔をして、うつむく。
(・・・・・・・・)
かける言葉さえないのに。
そんな顔するなと、心が叫ぶ。
どくん。
どくん。
仁王と時折目が合う。
その度に俺はあの笑みに苛立ちを募らせる。
・ ・・ふざけんなよ。
どくん。
どくん。
目が追うその姿。
また、うつむいた。
口元に手をそえて、苦しそうに目を伏せる。
(・・・・・・・・・・)
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
今日が、最後だろぃ?
今日が、最後なんだろぃ?
始めから終わりまで、
最初から笑ってくれるなら、最後まで、笑っていて欲しかった。
・ ・・・のに。
どくん。
どくん。
「・・・丸井?」
「・・・・・・・・」
ラケットを持っていた俺の手が下に下がる。
見ていたその姿が、
泣きそうだった。
どくん。
どくん。
うるさい。
・ ・・・黙ってろ。
鳴り止め。
鳴り止め。
胸が、酷く痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
胸の奥が、酷く痛い。
痛くて、痛くて、痛くて。
・ ・・また。
(・・・・最後、だろぃ?)
俺が泣かせようとしているのか。
「・・・そんなにが気になるのか?」
・ ・・違う。
俺は、
・ ・・俺は。
「部活終わり!!全員で片付け!!」
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
最後。
これが、最後。
空がいつの間にか、自らを赤く染めようとしていた。
真田の全員で片付けという号令に、あいつが目を丸くして驚いていたが、
あいつの傍に来た柳が何か言うと、寂しそうに笑った。
ボールを拾い、ネットを片付け、コートを整備して。
レギュラーの誰もが片づけをする。
誰一人として話しているものはなく。
近くにいたジャッカルを見習って、
俺もその場の流れのままに、ボールを拾い始める。
あいつが、空を仰いでた。
本当に、一瞬だったけど。
それでも。
あの、赤い空を。
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
胸が、痛い。
痛くて、痛くて、痛くて。
ジャージの胸のあたりを、無意識の内に掴む。
どくん。
どくん。
胸が、痛かった。
心臓をわしづかみにされているような。
刃をつきたてられているような。
胸をえぐられているような。
(・・・・。)
足元に一枚、桜の花びらが舞ってきて、俺はそれを見た。
うるさい鼓動を静めたくて。
固く固く目を閉じる。
誰も一言も話そうとしないコートの上は、静か過ぎて耳が痛い。
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
「全員制服に着替えたら、いつものベンチに集合してくれ。」
柳のその言葉に、誰もが部室に入っていく。
片付けの終わったコート。
赤い空と吹く風。
誰もが、あいつの最後の日を意識している。
ふと見たその横顔。
うつむいて、泣きそうで。
どくん。
どくん。
どくん。
握り締めた手のひらが熱い。
・ ・・熱い。
無言のままの部室。
ジャージから制服に着替えて、それぞれの荷物を持った奴から部室から出て行く。
バタンっと部室のドアが閉まるたびに、誰が部室から出て行ったかその後姿を確認する。
最後に残ったのは、俺と、仁王。
「・・・・・・・・・・背中、大丈夫か?」
「・・・・・よくそんなことが聞けるよな、お前。」
仁王の声を背中に向けながら、俺は自分のロッカーを閉める。
仁王がいるだろう方を見もせず、部室から出ようと、ドアノブに手をかけた。
「・・・逃げるなよ、丸井。」
「・・・・・・・・・・・」
「気付け。」
「・・・・・・・・・・」
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
・ ・・何に。
(何に気付けって、言うんだよ。)
仁王に振り返ることなく俺はドアノブを回す。
バタンっと音がして、外に出れば。
無言のうち、静かなままのコート。
柳、真田、ジャッカル、柳生、赤也があいつを囲むようにして立っていた。
誰も目を合わせることなく、
あいつは、かすかにうつむき。
俺は、静かに息を吸い込むと、そっちに向かって歩いていった。
仁王が俺のすぐあとにその場にたどり着けば、柳が口を開く。
「全員だ。。」
「・・・うん。」
あいつがそっと笑って、俺たち一人ひとりを見渡す。
誰もがその笑みを見つめ、俺と視線があったとき、
その瞳の奥が揺らいだ気がした。
そのまま、またかすかにうつむいて。
何か考え込むかのように唇をかみ締める。
「・・・・さん!俺っ・・・どうしてもさんにやめて欲しくないっすよ!!」
「赤也・・・・・・」
「お願いだからっ・・・・さん!!」
赤也が突然あいつに詰め寄る。
必死な顔して、俺たちはそんな赤也を目に映す。
「・・・・ごめんね。」
困ったように笑って、謝って。
その言葉に小さく肩を落とした赤也。
あいつが深呼吸に似た息を吸い、俺たちをもう一度見据えた。
「・・・今まで、ありがとうございました。今日で私は、テニス部のマネージャーを辞めます。」
赤い空に風が走った。
桜の花びらが舞い、白い蝶が俺たちの周りを飛んだ。
静かなコートの上。
誰も何も言わない。
誰も、何も。
あいつがかすかに微笑むが、誰も笑い返さない。
沈黙がその場を埋めつくし。
誰かが言葉を待っていた。
誰もが言葉を待っていた。
誰か、
誰か。
静けさが耳を痛くする。
刹那。
俺とあいつの目が合う。
泣きそうになるその目。なのに、精一杯笑おうとしてる。
・ ・・悲しそうな顔を。
寂しそうな顔を。
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
かける言葉など見つからない。
握り締めた手のひらが熱い。
お前に触れた手のひらが。
体温の調節がきかない。
(・・・・泣くなよ。)
泣くなよ。
泣くなよ。
どくん。
どくん。
どくん。
鼓動がうるさい。
心音がやかましい。
うるさい。
胸が、痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
沈黙がその場を埋めつくし。
誰かが言葉を待っていた。
誰もが言葉を待っていた。
誰か、
誰か。
(・・・・・行くなよ。)
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
・ ・・いつも、必死で。
精一杯で。
笑って、泣いて、怒って。
困って、あせって。
でも、いつも。
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
胸が、痛い。
痛くて痛くて仕方がない。
「っ・・・・・・・」
誰かに鷲掴みにされてるみたいに。
刃をつきたてられているみたいに。
胸をえぐられたみたいに。
どくん。
痛い。
胸が、痛い。
「・・・丸井?」
「丸井くんっ・・・・・」
「・・っ・・・・・・」
胸が痛い。
握り締めた手のひらが熱い。
体温の調節がきかない。
胸が痛い。
胸が、痛い。
「丸井、大丈夫か?」
「丸井?!」
あまりの痛みに意識が朦朧とする。
誰かに鷲掴みにされてるみたいに。
刃をつきたてられているみたいに。
胸をえぐられたみたいに。
痛い。
俺はその場に片膝をついてしゃがみ込む。
俺の名前を呼ぶレギュラーの何人かの姿が、俺に視線を合わせてしゃがむ。
あいつの姿が傷みに細めた目に映る。
(・・・行くなよ。)
「・・・そんなにが気になるのか?」
ちが・・・・う。
(行くな。)
違う。
「丸井くん?!・・・どこか痛むの?」
違う。
違う、違う、違う。
(行くな。)
違う。
(本当は。)
違う、違う。
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
うるさい鼓動。
押さえるかのように制服の胸の部分を握り締めた。
周りのレギュラー陣の声が遠くで聞こえる。
誰か、俺に何か言っているのか。
それさえよくわかっていない。
ただ痛くて、痛くて。
ただ、あいつの声だけはちゃんと聞こえた。
「丸井くん、立てる?」
・ ・・・うるさい。
どくん。
どくん。
・ ・・・うるさい。
おさまれ。
黙ってろ。
ぎりっと握り締めた手のひらが、かすかに震え、熱を持ってる。
体温の調節がきかない。
あいつに触れた手のひらが熱い。
どくん。
「逃げるなよ、丸井。」
どくん。
どくん。
「気付け。」
どくん。
どくん。
何に、気付けって言うんだよ、バカ詐欺師。
どくん。
どくん。
どくん。
(・・・考えたく、ない。)
考えようなんて、思わない。
鳴り止まない鼓動も、
うるさい心音も、
目が離せないことも、
目がそらせないことも、
泣かせたくないとか、
笑っていて、欲しいとか。
そんなこと、思う理由も全部。
「・・・そんなにが気になるのか?」
そんな、理由。
考えようなんて、思わない。
(・・・・。)
。
なのに。
・ ・・・なのに。
あいつと、目を合わせた。
痛む胸を押さえながら、ただ、目がそらせなくて。
ただ。
(行くな。)
・・・・・・違う。
(本当は。)
違う、違う。
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
(傍に、いて欲しい。)
End.