空が、風を纏う。
日溜りを零して。
春が指先を掠めて、この手からすりぬけていく。
桜が舞っていた。
桜が待っていた。
いつも、待ってくれていた。
『8分前の太陽31』
「いやっ・・・だからっ・・・・」
「何言ってんの。話が違うじゃないっすか。」
「・・・何も話してねぇだろぃ。」
「落ち着きんしゃい、赤也。・・・で?早くを連れてきんしゃい、丸井。」
「だからっ・・・あいつが来れないって言ったんだって!」
「ちっ・・・・使えねぇ。・・・期待して損した。」
「何だ今の。舌打ち?・・・・おいっこら赤也!!目合わせろぃ!!」
柔らかい風が、教室の開けられた窓から吹く。
私は自分の教室の窓際に立ち、そこから見えるテニスコートを見ていた。
雲ひとつない青空は、日溜りを零す。
温かい空気の中、忙しく練習の準備をするテニス部1年生の姿が、コート中を駆け回っている。
部室付近で何か騒いでいる黒髪、銀髪、赤髪の三人組。
(・・・・あ。)
帽子をかぶった1人が部室からでてきて、その輪に近づくと、
黒髪と赤髪の彼が、突然裏拳を受けて痛そうにしゃがみ込んだ。
銀髪の彼はなんなくそれをよけて、どうやら帽子の彼をうまく言いくるめたらしい。
「ちょっ・・・・痛ってー。真田副部長!!仁王先輩は?!」
「余計なこと言わんの赤也。さっさと準備。なっ、真田。」
「・・・真田。・・・不公平って言葉知ってるだろぃ?」
「む。」
「大体丸井が悪いんじゃ。」
「俺?」
「・・・まったくっすよ。」
「俺?!」
教室の窓から見てるだけでは、彼らが何の話をしているかはまったくわからなかった。
じーっと見ていると、黒髪、もとい赤也と、赤髪、もとい丸井くんがまた言い合いになり、
帽子の彼、もとい真田君に今度は拳骨をもらい、二人して頭を押さえてしゃがみ込んでいた。
銀髪、もとい仁王くんだけが飄々とその光景を眺めていた。
・ ・・・なんの話を、していたんだろう。
朝早く、私以外誰もいない教室で、小首をかしげていたときだった。
「の入部届けを誰がだしたか知っているか?」
「(!!)」
「確か幸村くんでした。」
「じゃあ退部届けを誰がだしたか知ってるか?比呂士。」
「さぁ。・・・誰か、だしたのでしょうか。」
「いや、誰も。」
「柳君・・・柳生君、桑原君っ・・・・・」
聞こえてきた声にふりむけば、教室の入り口で、静かに笑う三人。
この時間は、丸井くんや赤也や仁王くん、真田君のようにコートにいるはずのレギュラー。
突然の登場に驚き目を丸くさせていると、柳君が教室の中に足を進めて、
窓際で振り返ったままの私の傍に来てくれた。
「。実は今日テニス部レギュラーはとある学校と練習試合の予定で、公認欠席。つまり公欠願いが出されている。」
「・・・・練習試合?」
「一緒に行こうぜ。」
「(!)桑原くんっ・・・・」
「。あなたはまだテニス部の一員です。」
「レギュラー専属マネージャーがレギュラーの練習試合についてくるのはおかしなことじゃない。」
「でもっ・・・・あたしはっ・・・・」
柳くんに続いて教室に足を進めた桑原君と柳生君。
3人は私を囲むようにして話をしていた。
突然の提案に私は、うつむいて考え込むしかできなかった。
昨日の、帰り道でのこと。
赤く染まる空と道を、丸井くんとふたりでたどっていた時。
「・・・お前、テニス部戻ってくるだろぃ?」
「え?」
「・・・退部、俺が原因だったんだろぃ?なら、もう戻ってこれるじゃねぇか。」
繋いだ手。
指先を春の風がなで、通り抜ける。
(・・・テニス部に。)
戻れる。
戻りたい・・・・その気持ちは強い。
でも。
「朝、あいつらにもちゃんと話したい。」
「・・・ごめん。・・・・戻れないよ。」
「え?」
自分の想いに素直でいるには、心が突っかかる。
だって、私はみんなに退部を宣言してきた。
何より、私をテニス部にいれてくれた幸村君に。
もうやめることを告げて、了承を得ている。
今更、テニス部に戻りたいなんて、そんな調子がいいこと・・・。
簡単には納得できない自分がいた。
「・・・・・・・・・・」
「丸井くん・・・ごめっ・・・」
「お前さ、変なところで頑固だよな。」
「・・・・・・・・・」
丸井くんの言葉に、どんな顔をしていいかわからない。
怒らせた?
折角、戻ってくることを促してくれたのに。
私がかすかにうつむくと、ぎゅっと握り締められた手。
「そんな顔すんなよ。お前らしいなって言ったんだよ、俺は。」
そっと顔を覗き込まれるようにして丸井君は私に笑った。
柔らかく吹いた風に、桜の花びらがさらわれて、空に舞い上がった。
赤い夕日に、桜が染まっていた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・幸村部長のことっすか?」
「(?!)え?・・・・・・」
昨日の夕日を思い出してうつむいていた私に、さらに新しい声が聞こえる。
驚きに目を丸くさせ、柳君、柳生君、桑原君でさえぎられている向こう側に目を見張る。
教室の入り口に堂々と立ち並ぶ姿。
「真田。確か練習試合の予定じゃったな。」
「ああ。予定だ。」
「公欠願いは予定でばっちり出したしな。参謀。」
「ああ。」
「予定ってことは決定じゃねぇだろぃ、赤也。」
「そうっすよね。道を間違えて入院中の部長の見舞いに行ったなんて話、よくありますしね。」
声が出なかった。
驚きに目を見張り、呆然としてただただ耳に届く会話を頭の中で整理する。
教室にそろったレギュラー達。
教室の入り口付近に突然現れた仁王くん、真田くん、丸井くん、赤也。
4人が教室の中に入ると、初めからいた3人同様、私を囲むようにして立った。
「・・・行くだろぃ?。練習試合。・・・・予定だけど。」
丸井くんが私の正面に立って、そう言って笑った。
私は予想もしていなかったことに、ただただ驚き立ち尽くす。
丸井くんがふざけて肩をすくめながら言うと、
レギュラーのみんながそれぞれ顔を見合わせて笑った。
見渡せば、みんなは私に、そっと笑いかけてくれた。
うれしさがこみ上げる胸の内。
私は笑うと、声にならない言葉の代わりに大きくうなずいた。
空が、風を纏う。
日溜りを零して。
春が指先を掠めて、この手からすりぬけていく。
桜が舞っていた。
桜が待っていた。
いつも、待ってくれていた。
ジャージ姿のみんなとただ1人制服姿の私。
赤也が言ったように、私たちは道を間違えた。
予定は変更が利くからと、その間違えにより練習試合を急遽、入院中の部長のお見舞いに。
柳君がそう真田君に告げると、真田君は「うむ。」と言ってうなずいた。
その状況に誰からともなく笑い出す。
ふざけて、からかって、話して、笑って。
コートの上の毅然とした姿。
そのギャップ。
どちらも
・ ・・・・・私の、戻りたかった場所。
私の隣を歩いていてくれた丸井くんと何度か目が合う。
その度に、小さく笑いあった。
(・・・ずっと、見たかった。)
ずっと、そうやって、笑っていて欲しかった。
一度だけ、柳くんに連れてきてもらって来たことのある白い建物。
私にとっては慣れることのないその場所。
たどり着いた病院で、みんなは躊躇なく足を進めるが、私は少しとまどっていた。
幸村くんにどんな顔をすればいいんだろうか。
病院内に足を進めると、長い廊下を歩く。
たった一度、通った道。
「・・・・?」
私の足が止まる。
それに気付いた丸井くんが私の名前を呼んで、足を止めると
先を行くレギュラーのみんなも私に振り向き、足を止めた。
‘112号室 幸村 精市’
今でもはっきり覚えてる。
幸村君の名前が書かれた病室。
よりによって初めてここにきた日に、私は部活をやめたいと言った。
「・・・幸村君にっ・・・どんな顔していいか、わからなくて」
テニス部に戻りたい。
それを告げたらどんな顔をされるんだろう。
私は調子がよすぎる。
一度やめると言った人間が、同じように戻ることは、そんなに簡単なことじゃないはずだ。
「・・・笑ってればいいだろぃ?」
うつむき、考え込んでいた私に聞こえた声は、あまりに明るく、
幸村くんに会って、どんな顔をすればいいか悩んでいた私にとっては、まさに目から鱗だった。
私がはっとして、丸井くんを見れば、静かに笑い。
「行くぞ。」
真田君のその声が廊下に響けば、私の足は、自然と進むことを怖がらなくなった。
幸村君の病室にたどり着くまで私はみんなの背中を見ていた。
私の半歩前を行く丸井くんの背中を見ていた。
一つの病室の前で、私たちの先頭を歩いていた真田君の足が止まる。
‘112号室 幸村 精市’
誰もがそれを目にした。
とまどうこともなく、真田君がその扉をノックする。
<コンコンッ>
その音に、急に鼓動が早くなる私の心音。
「・・・・・どうぞ。」
ドアの向こう。
こもった声だったけれど、それは間違いなく幸村君のもの。
真田君がドアノブを回し、レギュラーが次々と病室の中に入っていく。
病室に入るのが一番最後になる位置にいた私は
胸に手をあてて、誰にも気付かれないように小さく息を吐く。
ふいに、私の空いている方の手を、誰かが握った。
(・・・・丸井くん。)
見上げた丸井くんの表情。
私を安心させるかのように、笑いかける。
繋いでいた手がゆっくりと離れ、丸井くんが私より先に病室に入った。
私も覚悟を決めてそのあとに続く。
「・・・・今日は全員のようだね。」
透明で儚いその声が、病室に静かに響いた。
ベッドに腰掛けたままの姿。
久しぶりに見た幸村君の笑顔。
「・・・。元気そうだね。」
優しい瞳が私を映す。
病室に入って笑顔を見せようとしていた私は、
幸村君の端整な笑顔に、まったくもってそれを忘れていた。
「幸村。今日は話があって来た。」
「ふふっ・・・そんなに深刻になる必要もないんじゃないか?真田。」
「幸村、俺・・・・・・・・」
丸井くんが、幸村君に何か言いかけると、
幸村君の優しい視線が、丸井くんのほうに向けられる。
幸村君の病室は個室で、普段ならそんなことはないのだろうけど、
中学生の男子が7人も入ると、さすがにこの空間は狭く、
私に見えたのは、みんなの後姿だけだった。
「・・・・・いい天気だね。」
言葉を選んでいたのか。
丸井くんが黙ってしまうと、幸村君は窓の外を見た。
窓を通して見る空は、学校にいたときから変わらない雲ひとつない青空。
「。」
「・・・ん?」
「屋上に行こうか、2人で。」
「え?」
「ちょっ・・・幸村部長!」
「あとは頼んだ、真田。」
「え?・・・・え?!」
幸村くんは慣れた様子でベッドから降りると、
そのまま私の手を掴んで、病室のドアを開けた。
「じゃ。」
えっ・・・・じゃって。
あのっ・・・・・・
バタンっと閉まった幸村君の病室。
廊下に出たのは、私と幸村君だけ。
幸村君は、私の手を掴んだまま足を進めた。
真っ白な病院に似合う真っ白な階段まで来ると、それを昇り始める。
「あのっ・・・幸村君。」
私の先を行く後姿。
かけたい言葉は様々。
動いて大丈夫なのか。具合は平気なのか。病室を抜け出してもいいのか。
みんなは?私だけ?
幸村君、私・・・・・。
「・・・・わかってるよ」
「え?」
「詳しくではないけれど。」
たどりついた一つの扉。
幸村君がその扉のドアノブに手をかける。
広がる青空と、階段に差し込む光。
幸村くんが、私の手を離した。
「・・・・初めはきっと、君を利用することしか考えてなかった。」
「え?」
「柳も、仁王も。・・・もちろん俺も。」
「・・・・・・・・・・」
「こんなに大切に思うようになるなんて、誰も予想してなかったよ。」
「幸村君・・・・・」
「・・・・ずっと、ごめん、。」
幸村君は屋上の真ん中のほうへ歩を進める。
私は幸村君の背中を見ていた。
ふいに、私に振り向くと、寂しそうに幸村君が笑った。
「辛い想いばかりさせたね。」
咄嗟に、言葉は出てきてくれなかった。
幸村君のそんな表情を初めて見たから。
幸村君は、再び私に背を向けた。
真っ青な空を仰いで、風に吹かれる。
そんなことないって。
言いたかった。
「・・・あっあたしっ・・・」
そんなことないって
「うれしかった!みんなに会えて!テニス部に入れて!!」
辛い想いばかりなんて。
「私、転校してきたばっかりで、不安で・・・・。でも、そんなことみんなが忘れさせてくれた。」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「幸村君が、私をテニス部のマネージャーにしてくれたから!!」
だから、謝ったりしないで。
伝えたい言葉に、それは似合わないから。
「ありがとう!幸村君!!」
幸村君は、私のその言葉に振り向いた。
驚きに目を見開いて、私を見る。
私は、幸村くんに、精一杯の笑みを見せた。
ありがとうって、笑った。
その瞬間幸村君が優しく笑う。
目を細めて、口元を緩めて。
けれど、次の幸村君の言葉に、私は少し戸惑う。
「丸井、もう大丈夫みたいだね。」
・・・きっと、もう。
丸井くんは、もう、大丈夫。
だって、彼女は。
「・・・・・」
「・・・?」
「、さん。」
「・・・うん。」
「・・・・春みたいな人だった。」
嫌な、気持ち。
胸に沈んで重くなる。
丸井くんのずっとずっと好きだった人。
見たことはないけれど、話したこともないけれど。
あの、儚い幻のような、声を聞いただけなのに。
彼女は、春のような人だと思った。
風みたいに透き通って、木漏れ日みたいに温かくて、桜みたいに優しくて。
ずっとずっと、丸井くんが名前を呼んでいた人。
心の中に、何かが沈んで落ちていく。
嫉妬・・・と言うには、わだかまりがなかった。
ただ。
「・・・私、ずっと羨ましかった。」
白い蝶のはばたきを目に、
春のような彼女に、
私はずっと、届くことはないだろう。
そう、思った。
(・・・叶わないって。)
風みたいに透き通って、木漏れ日みたいに温かくて、桜みたいに優しくて。
大好きな人の幸せを、最後まで願える人。
そんな人に、私は。
「・・・・ねぇ、。」
幸村君が、私の近くまで歩いてきた。
目を合わせると、私は困ったようにしか笑えなかった。
だって、私の中の気持ちは。
今とても、まどろんでいる。
幸村君は静かに笑ってみせる。
「・・・生きている者は、死んだ者にはけして勝てない。」
彼女は、春のような人だった。
「でもね。」
丸井くんの好きだった人。
丸井君が好きだった人。
ずっと見たかった笑顔に。
私は今、ちゃんと笑い返せているのかな。
「死んだ者も、生きている者にはけして勝てないんだ。」
空が、風を纏う。
日溜りを零して。
春が指先を掠めて、この手からすりぬけていく。
桜が舞っていた。
桜が待っていた。
いつも、待っていてくれた。
きっとあなたは、待っていてくれた。
丸井くんが、春を疎まなくなるまで。
きっと、待っていてくれた。
「もちろん、勝ち負けなんかの問題じゃないけど。」
「幸村君・・・・・」
「はのままで、丸井の傍にいたらいい。」
ずっと、笑っていて欲しかった。
ずっと。
ずっと、ずっと。
「幸村!!」
「・・・・なんだ。もう来たのかい?」
「幸村部長が戻ってくるの遅いからっすよ!!」
「を連れ出したままですし。」
屋上の扉が突然開いた。
そこから姿を見せ青空の下に足を進めたのは、レギュラーのみんな。
私は、丸井くんを見た。
ずっと、笑っていて欲しかったあなたに。
精一杯、笑い返したかった。
「「「「「「「!!!!」」」」」」」
「っ・・・・さん!!ブン太さんばっかりずるいっす!!」
「え?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「あーあ。丸井、固まったのう。」
「バっ・・・・・うるせぇっ!!」
進んでいく会話の意味を掴もうと、小首をかしげ、頭を使う私の肩にポンッと手が乗った。
その手は綺麗で大きくて。
いつだったかに見た幸村君の手のままだった。
「・・・さて、それで?君たちが公欠を使ってまで俺のところに来た肝心の用は何?」
・ ・・・・・あ。
幸村君の言葉に私の口が勝手に開く。
そうだ。そのためにここに来たんだ。
レギュラーのみんなに確認するかのように、私はみんなの顔を見渡した。
みんなは、しっかりと私にうなずいてくれた。
最後に見た丸井くんのうなずきに。
「幸村君っ!!」
「ん?」
「私っ・・・・・私ね!!」
私は、怖いものなどなくなった気がした。
「テニス部に戻りたい。」
戻りたい。
みんなのところに。
戻りたい。
一緒に頑張りたい。
力になりたい。
幸村君は、表情を変えずに、私をその目に映しこむ。
「ちょっ・・・調子がいい奴だってわかってる!でもっ・・・・・」
「・・・・調子がいいのは、俺たちのほうだよ。」
「え?」
「・・・・おかえり、。」
「「「「「「「「!!!!!!!」」」」」」」」
幸村君の満面の笑み。
初めて見たうれしすぎる笑顔に
レギュラーのみんなが私と幸村君を囲むようにして集まってきてくれた。
ありがとう。
何度も何度もそう言った。
戻れる。みんなのところに。
あの、ずっと戻りたかった場所に。
「さんと一緒に全国3連覇っすね!!」
「赤也。はりきっとるのう。」
「そんな赤也に応えてやらないとな、弦一郎。」
「ああ。」
「・・・・・へ?」
「ふふっ・・・・俺と真田と柳と誰がいいか、選ばせてあげるよ、赤也。」
「じゃっ・・・・じゃあ、ジャッカル先輩で!!」
「俺かよ!」
「切原君、そんな選択肢はありません。」
ふざけて、からかって、話して、笑って。
そんなみんなの中でただ1人。
唇をかみ締め、何か意を決したかのように大きく息を吸い込んだ人に、私は気がついた。
「俺・・・・もう、大丈夫だから。」
「丸井くん・・・・・。」
「心配かけたけど、迷惑かけたけど。・・・もう、大丈夫だから。」
丸井くんの真面目な声に、静かになったレギュラーのみんなは、
丸井くんの表情を見つめていた。
丸井くんもそれに応えるかのように、みんなに真剣な目で返していた。
「いろいろありがっ・・・・・」
「ちょっと待ちんしゃい。俺たちはお前に礼を言われるようなことは何もしとらん。」
「・・・・は?」
「勘違いしてもらっては困りますね。丸井くん。」
「まったくだな。相方として恥ずかしいぜ。」
「そうそう。俺たちはさんに笑って欲しかっただけっすよ。」
「丸井なんかついでじゃ、ついで。」
「なんかってなんだよ!ついでって・・・・・」
丸井くんの‘ありがとう’の言葉は、仁王くんによってかき消された。
柳生君はくいっと眼鏡をあげ、桑原君は溜息を吐きながら腕を組んだ。
赤也はあきれた顔をして肩をすくめ。
「礼なんか気持ち悪い。・・・・だろ?」
「「「「その通り(です。)」」」」
幸村君によって綺麗にまとまった声。
丸井君は呆然として、あいた口がふさがらない状態だった。
私も似たようなもの。
みんなの異様な息の合い方を見つめるしかできなくて。
気付けば丸井くんがそっと私の手を握った。
目を合わせて、苦笑い。
これじゃ何も言えないと顔を見合わせて笑った。
「・・・丸井。赤也がすねるとよ。」
「・・・余計なこと言わないでくださいよ、仁王先輩。」
「・・・赤也、俺・・・・・」
「謝ったりしたら潰しますよ。」
・ ・・・・潰す?
静まり続けるレギュラー陣の中で、丸井くんと赤也が視線をぶつけていた。
赤也が丸井くんに近づく。
真正面に向き合う2人は、私から見れば、にらみ合ってるようにしか見えなくて。
「・・・・お前、本気って言ったろぃ。」
「・・・・俺?・・・本気でしたよ。」
「あっ・・・赤也?」
睨みあいをとめたくて呼んだ赤也の名前。
赤也は私のほうを見ると、丸井くんと繋いでいないほうの手をとって、
私の目の前にその手を持ち上げて、今度は私と視線をぶつけた。
「俺、本気。・・・・98%本気。2%冗談。」
「赤也っ・・・・・」
「よかったね、さん。」
「え?」
「(!)赤也っ!!」
赤也が私の目の前に持ち上げていた私の手の甲に、唇を触れさせた。
丸井くんは赤也の手を私の手から振り払うと、威嚇するかのように、赤也を睨んだ。
「よかったね・・・・・俺が100%本気じゃなくて。」
にやっと笑う赤也。
いつかの部室で赤也に俺ではダメかと言われたときを思い出し、顔が熱を持つ。
「赤也、てめっ・・・・・」
「へへっささやかな抵抗。」
「ケンカはなしだよ、赤也、丸井」
幸村君の静かな制止。
丸井くんは赤也を睨んでいて、赤也はそれに笑って返していた。
ふと赤也と目が合うと、赤也はただ私に笑って見せた。
(・・・赤也?)
次に見た赤也の横顔は、寂しそうだった。
でも、そう見えたのは本当に一瞬で。
次の瞬間には、からかわれていつも通りの赤也が、そこにいた。
「・・・弦一郎。」
「・・・・行くのかい?真田。」
「ああ。近くのコートを借りてある。」
「あれ?学校戻らないんすか?」
「戻ったら公欠願いの意味なかよ。バカ也。」
「・・・・すみません。怒っていい?」
聞こえてきた会話に、私は柳君を見る。
「・・・・。」
「うん。」
「・・・・柳。練習の前に借りて、ちょっと行きたいところがあるんだけどよ。」
「丸井くん・・・・?」
丸井くんの思いもかけない言葉に、私もレギュラーのみんなも
丸井くんをじっと見た。
柳君は真田くんに目配せをすると、真田君がうなずく。
丸井くんはそれをしっかりと確認し。
「コートの場所はわかるな?」
「・・・悪い。できるだけすぐ行く。」
丸井くんが私の手を引いた。
・ ・・どこに、行くんだろう。
そんな疑問が私の頭の中を巡る。
丸井くんの先に進む姿に、私は手を繋いだままついていく。
「。」
屋上から階段へつづく扉を、くぐろうとしてとき。
幸村君が、私を呼んだ。
丸井君の足は止まらず、私も歩を進めたまま、幸村くんに振り返る。
「忘れないで。俺が言ったこと。」
幸村君が、言ってくれたこと。
すぐに思いついたそれに、私は笑って返した。
ありがとうと、笑った。
屋上の扉がバタンっと閉まる。
私は丸井くんに手を引かれたまま、病院をあとにした。
「丸井くん、どこに・・・・・」
「・・・・・一緒に、見て欲しい。」
「・・・え?」
「・・・・・・・・・・・・・春の、終わり。」
赤い髪が、私の目の前で揺れていた。
ひらり。
ひらり。
ひらり。
ひらり。
「・・・・・桜が・・・・」
「今朝、気付いた。」
丸井くんが私の手を引いて連れてきたのは、学校。
敷地内に足を踏み入れると、迷うことなく裏庭に向かった私たち。
あれだけ満開に咲いていた桜の花びらが、あっという間に散っていた。
昨日までは確かに、あんなにも見事に咲き誇っていたのに。
丸井くんが私の手を握る力を強くする。
優しく、温かく。
「・・・・が、咲かせてたんだ、きっと。」
「え?」
「・・・なかなか散らなかったろぃ?ここの桜。」
私は丸井くんの顔を見上げた。
丸井くんは目の前の大きな桜の木を見上げていた。
「俺が、春が嫌いだって言ってたから」
「・・・・・だから、待っててくれたんだよね。」
「・・・・・きっと、な。」
丸井くんにとって、哀しいばかりではなく、優しい季節になるように。
そうなるときまで、待っていてくれた。
春は、桜は、待っていてくれた。
ずっと、優しさをくれていた。
空が、風を纏う。
日溜りを零して。
春が指先を掠めて、この手からすりぬけていく。
桜が舞っていた。
桜が待っていた。
いつも、待っていてくれた。
春のような人。
「・・・・・・今朝ここに来たとき、にさよならを言おうと思ってた。」
「・・・うん。」
「でも・・・・やっぱり言えなかった。」
「・・・うん。」
丸井くんの声が、かすれてた。
震えて、いつもなんかよりもずっと、寂しくて、哀しくて。
桜が散っていく。
春が、終わろうとしている。
「だから代わりに、ありがとうって言ったんだ。」
風みたいに透き通って、木漏れ日みたいに温かくて、桜みたいに優しくて。
丸井くんのずっとずっと好きだった人。
見たことはないけれど、話したこともないけれど。
あの、儚い幻のような、声を聞いただけなのに。
彼女は、春のような人だと思った。
「・・・幸せを願ってくれて。」
私は、きっと彼女には叶わない。
「お前に、会わせてくれてありがとうって」
「・・・・・え?」
丸井くんが、笑う。
私はその瞳に、優しさと哀しみを見た。
切なくて、苦しくて。
私は、丸井くんに何がしてあげられるだろう。
そう、思った。
「・・・・丸井くん。」
「・・・・・・・・・・・・」
「春みたいな、人だったんだね。」
「・・っ・・・・ああ・・・」
あなたの、好きだった人。
丸井くんの目に、うっすらと涙が浮かぶ。
桜が舞う。
春が、終わりを告げる。
「悪い・・・・・」
「・・・・うん。」
「これで・・・最後だから」
「・・・・うん。」
つられて、泣きそうだった。
零れ落ちる涙を拭う丸井くんを見て、私も泣きそうだった。
春の終わりを、一緒に。
一緒に、見よう。
あなたはきっともう。
春が嫌いなんて、言わないから。
桜の花びらと一緒に、哀しみに、終わりを告げたい。
‘生きている者は、死んだ者にはけして勝てない。
でも
死んだ者も、生きている者にはけして勝てないんだ。’
だから、私は。
私のままで。
あなたの傍にいるよ。
ぎゅっと繋いだ手。
今度は私が、握り返す。
太陽の光が地球に届くまでに8分かかる。
つまり私たちが見ているのはいつも8分前の太陽。
そうやってものを目がとらえるのには、時間がかかるから。
だから、この手は遠くから手を振るためにあるんじゃない。
離さないように、一緒にいるためにあるんだって。
一緒にいるためにあるんだって。
彼女はそう、丸井くんに教えてくれた。
「・・・丸井くん。」
「・・・・・」
「・・・好きだよ。・・・大好き。」
「・・・・・」
「大好き、だから。」
もう、伝えていいんだよね。
初めて想いを告げたあの日は、本当は、伝えることなど許されなかった。
世界で一番伝えたい言葉。
だから、一緒にいよう。
丸井くんの手が私の手を握り返してくれる。
太陽の光で、あなたの涙を乾かそう。
8分前の太陽。
その光で。
「・・・お前でよかった。」
「・・・え?」
丸井くんの涙は、もう零れてはいなかった。
ただ、うっすらとその目元が濡れ。
私にそっと、笑いかける。
「あの日。ここで会ったのがお前でよかった。
転入してきたのがお前で。
俺たちのマネージャーになったのがお前で。」
桜が散る。
春が終わりを告げる。
空が、風を纏う。
日溜りを零して。
春が指先を掠めて、この手からすりぬけていく。
「お前が、でよかった。」
何度、後悔しただろう。
私が、という名前じゃなければよかった。
私が、立海に転入してこなければよかった。
私が、テニス部に入らなければよかった。
私が、丸井くんに出会わなければよかった。
私が、私じゃなければよかった。
何度、後悔しただろう。
丸井くんのその、たった一言に逢えるまで。
「・・・・笑えよ。」
「・・っ・・・うん。」
「来年も一緒にここの桜、見に来ような。」
「うん。」
ぼやけた目の前。
丸井くんが私に笑ってくれるから、笑い返したい。
だから、一生懸命拭った。
零すものかと拭った。
「」
ふいに、丸井くんの顔が私に近づく。
赤い髪が私の頬に触れ、丸井くんの体温が伝わる。
重なる唇。
「丸井くん・・・」
「・・・行くか、。」
「・・・・・・・・」
「・・・・・お前のことだって、わかってる?」
「わっ・・・・わかってるよ!」
あなたが、私の名前を呼ぶ。
からかうように、笑って。
私の手を引いて、初めて会った桜の林を後にする。
桜が散る。
春が、終わりを告げる。
ふいに見上げた青空に、白い蝶が横切った気がした。
「?」
「・・・ううん。なんでもない。」
あなたは、私の名前を呼ぶ。
太陽の光に目を細め。
「8分前の太陽・・・・」
「ん?」
「俺が言ったの、覚えてる?」
それは、
光と視覚と時間の話。
8分前の太陽の話。
「覚えてるよ。」
2人で交わす笑顔。
ぎゅっと握る手。
伝わる温度。
声、鼓動、言葉、気持ち。
太陽の光が地球に届くまで8分かかる。
人は光でものを見る。
つまり、私たちが見上げる太陽はいつも、8分前の太陽。
私たちが見てるすべては過去。
私たちが見えるすべては過去。
1cmの距離にさえ、私たちは過去を見るから。
だから、
だから大切な人の手と自分の手は、想う相手を離さないようにある。
離れないように、手を繋いで、抱きしめあって。同じ瞬間を生きていくこと。そのためにあって、
遠くからサヨナラの手を振るためにあるんじゃない。
この手は、そのためにある。
離れないためにある。
8分前の太陽が、それを教えてくれる。
ずっと、見たかった。
その笑顔が、ずっと、見たかった。
「」
あなたが呼んだ私の名前に、
私は振り返った。
振り返って、私は笑い返す。
・ ・・もう、伝えていいんだよね。
世界で一番伝えたい言葉。
空が、風を纏う。
日溜りを零して。
春が指先を掠めて、この手からすりぬけていく。
桜が散る。
春が、終わりを告げる。
優しくて、温かい、そんな春が。
そっと、笑いあって。
手を繋いで。
ずっと、あなたに笑って欲しかった。
初めて出会った、あの桜の木の下から。
ずっと。
ずっと、ずっと。
「大好き。」
end.