「おっおはよう!丸井くん!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
丸井くんが目もあわせず、今朝もあたしの隣をただ通り過ぎる。
まるで虚しい独り言みたいに。
見上げた春の空があたしの声を吸い取った。
『8分前の太陽4』
「さん、次理科講義室だよ。場所わかる?」
「あっ・・・移動教室だよね。」
「一緒に行こうよ!」
「(!)ありがとう」
めまぐるしく過ぎた朝の部活のあと。
待っているのは授業。
クラスメイトのみんなは幸村君が言っていたみたいに本当にいい人ばかりで。
この学校にまだ不慣れなあたしをこうして案内してくれる。
「さん。マネージャーどう?テニス部。」
「今朝さん見たよー。がんばってたよね!」
「あたしも見たー!」
「がっがんばってた?」
「「うん、がんばってた。」」
あたしと一緒に理科講義室に向かって歩いてくれる女子3人組。
華やかな笑顔。
(がんばってた・・・・)
あたし、がんばれていたかな?
本当にうれしかった。
そう言ってもらえたことが。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
今朝もドリンクは受け取ってもらえなかった。
名前を呼ばれることもなければ目をあわせることもなかった。
「さん?」
突然黙ったあたしの顔をみんなが覗き込んでいた。
「(!)ごっごめんね!」
「ううん。テニス部のマネって忙しいでしょ?」
「そうそう。無理しないでね。」
「がんばってね!さん」
華やかな笑顔に囲まれて。
ねえ、幸村君。本当にいい子達だね。
転入してきたばかりで緊張してばかりのあたし。
その気遣いがうれしくて、自然と頬が緩んでいた。
「ありがとう。」
「(!)さん、笑顔似合う!!」
「え?」
「かわいい、さん!」
「マジ?笑って笑って!!」
突然のことに驚いてとまどって、動きがとまる。
らんらんと輝く彼女たちの目の前で次にあたしが浮かべたのは苦笑いだった。
<キーンコーン・・・・・>
この学校の授業は前の学校より一時間に進む量がちょっと多いと思った。
先生たちはわかりやすく説明してくれるので理解はそんなに困難じゃない。
教科書を広げてノートを真面目に取っていれば大丈夫。
授業に遅れることはないと思う。
そう思うから、
(えっと・・・・ダブルスは・・・・)
授業の合間にあたしが広げるのは柳君から借りているノート。
もちろんテニスのルールを理解するため。
授業を聞いてテニスのルールを見て板書。テニスのルールを見て教科書を見て。
今は化学の授業中。
ちなみにあたしの苦手科目の一つ。
移動教室の座る席はクラスで座る席順と変わらない。
つまり相変わらずあたしの隣の席は幸村君。
今日もその席だけがぽつんと一つ空いていた。
今度、
聞いてみてもいいかな?
柳君に。幸村君が入院している理由。
空いてる席を見ながら思う。
知りたい。テニス部のみんなのこと。
昨日の赤也と桑原君の試合。目を閉じれば瞼に浮かぶ。
本当に息を呑むような試合。身のこなし。
2人のすごさが伝わってきた。
あたしは無知で、なんにも知らないから。
ただ試合を見てるだけ。
何も声をかけることなんてできなかった。
必死でルールの確認なんてしていて。
でもそんなのマネージャーじゃない。
ただ見てるだけなんて。
力になれないと。
そのためには知らないといけない。
みんなのこと、たくさん。たくさん。
「・・・・・・・・・・・・(丸井くんの、ことだって。)」
たとえ、嫌われていても。
おはようが言えなくてどうする。お疲れが言えなくてどうする。
たとえ、それが独り言になったって。
受け取ってくれなくたってドリンクをつくる。
もしかしたら放課後は受け取ってくれるかもしれない。
(・・そうだよ。)
あたしは無知で。
何にも知らないけど、出来ることなら今からだってある。
柳君から借りたノートに今一度視線を送る。
たとえ、
たとえ、あなたに嫌われていても。
朝洗濯して干しておいたタオル。
それを昼休みの間に取り込む予定だったので
あたしは昼休みのチャイムが鳴ると同時に昇降口に向かう。
靴を履き替えるとテニスコートへ。
見上げれば手をかざすほどにまぶしい太陽。
(乾いてるはず!)
部室近くにつるされているロープに洗濯バサミで干されているたくさんのタオル。
「あっ。(乾いてる)」
ほんのりと温まったタオル。
春の太陽の匂いがした。
すべて取り込んで部室の中でたたもうと部室のドアノブに手をかけようとしたときだ。
(・・・そういえば部室って・・・・・)
<ガチャッ>
勝手に部室のドアが開いた。
(え?!)
「あれ?さんだ!」
「赤也?」
「外に誰かいるなあって思って」
ガチャっと開いた部室のドア。
あたしの目の前に突然現れたのは赤也で。
部室のドアノブをひねろうとして思い出したのは、本来部室は鍵がかかっているということ。
部活中以外、鍵は部室近くの茂みの石の下。
そこに隠すように柳君から教わっていた。
ギャラリーからは死角になるところだから、部員以外は鍵のありかを知りようがない。
本当は、鍵を開けなければ部室のドアを開けることはできなかったはずだったんだけど・・・。
「?・・・・ああ、洗濯か。」
「桑原君!あのタオルを取り込み終わって・・・・・」
「見りゃわかるよ。」
たくさんのタオルを抱え込んだあたしを見て
赤也の後ろから姿を見せた桑原君が苦笑する。
今は昼休み。
ということはここで2人とも昼を?
「・・・・ねえ、さんも一緒に昼食いましょ?」
「え?でもあたしお弁当教室まで取りに行かなくちゃ・・・・」
「大丈夫、大丈夫。パンわけてあげますから。ジャッカル先輩が。」
「って俺かよ!!」
桑原君のすばやい突っ込みに感動を覚える。
もしかして桑原君はいつも突っ込み役なんだろか。
これも一つ、レギュラーのことを知れたことになるかな?
とにかく今はこの手にあるタオルをどうにかしないと。
すっかり部室の前で立ち往生だ。
「・・・あの」
「なんすか?」
「そこ通ってもいい?タオルたたまないと・・・」
「・・・・・赤也。邪魔だとよ。」
「・・・・・・・・・・はーい。」
赤也と桑原君が部室の入り口を開けてくれた。
タオルを抱えたまま、あたしは部室へ足を踏み入れる。
・ ・・・・・瞬間。
「・・・あっ・・・・・」
大きく、鼓動が鳴る。脈打つ。
赤い髪。
膨らんだフーセンガム。
実際には2日ぶりくらいに合った目は、随分長いこと。
それはもう、何ヶ月もあわせていなかったような感覚だった。
部室にあるイスに腰掛けた丸井君。
「ちっ・・・はあ」
<ガタッ>
あたしの目の前で舌打ちをしたあと大きく溜息をつく彼。
机に広げていたいくつかのパンを手にすると
赤い髪を揺らして座っていたイスから立ち上がり
部室の入り口に向かって歩き出した。
あたしの隣をさっさと通り過ぎる丸井君。
あたしはそんな彼を目で追うこともできない。
背中で聞こえてきたのは桑原くんの声。
「・・・・おい、丸井っ・・・・・」
「わりぃな、ジャッカル!お前が俺との飯をどれほど楽しみにしてくるかは知ってるんだけどよ。・・・・・俺教室で食うわ!」
「・・・・・・・・・・ブン太さん」
「なんだよ、赤也。お前そんなにさみしがりじゃねえだろぃ?」
「別にブン太さんと昼食えないからって寂しいわけないっすよ!」
「・・・・なら、よかったぜぃ」
声だけで想像する3人のやりとり。
きっと丸井君はもう。
あたしの後ろにはいないんだろう。
振り向けばそこにはやっぱり赤也と桑原君の姿しかなくて。
「ごっごめんね!昼の邪魔しちゃって!!」
「・・・いや」
「赤也!あたしやっぱり教室でご飯食べるね!」
「え?さん、一緒に食べましょうよ!!」
「・・・・・ううん。ごめんね!!」
机に持っていたタオルをどさっと置いて急いでたたむ。
白いタオルがかすかににじんで。
思い出すのは舌打ち、溜息。
丸井君のあたしを見たときの嫌そうな顔。
するどい目。
彼が部室から出て行ったのはまぎれもなくあたしのせい。
考えなくてもそんなことわかった。
赤也だって桑原くんだって部活のときから、丸井くんのあたしへの態度は知ってるはずだ。
彼があたしをあからさまに嫌っていること。
背中で聞こえた明るい丸井くんの声。
機嫌が悪いんじゃない。
ただあたしが嫌われている。
それだけだ。
(・・・・なんで。・・・なんで?)
不純な理由なんかでマネージャーになった報いなのか。
どんくさいあたし。
会いたいと、もう一度会いたいと。
そう想っただけなのに。
あたしの心晴らした人。
「。」
桑原君があたしを呼んだ。
部室の入り口付近で立っている赤也と桑原君はあたしにどんな目を向けているのだろうか。
丸井君と同じ拒絶の目だったらどうすればいい?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
こぼれないように耐える。
急いでタオルをたたみ終えた。
想っただけだった。
もう一度、会いたいと。
「じゃっじゃあ、また放課後ね!2人とも。」
「・・・・待てよ、」
「くっ桑原くん?」
部室から出て教室に出ようとするあたしの手を引いたのは、桑原君。
掴まれた手には優しくこめられた力。
「俺のパンわけるから。ここで食ってけよ。」
「・・・・・ちょっと、ジャッカル先輩。さんに触らないでくださいよー」
「・・・・悪い」
あたしと桑原くんの間にいきなり顔を覗かせたのは赤也で。
掴んでいたあたしの手を離した桑原君が照れ隠しに頬をかいていた。
赤也の笑顔があたしにむけられる。
「・・・さん。ほら昨日言ったじゃないっすか!俺がいろいろ教えるって。」
「・・・・・・え」
「今日は一人目!ジャッカル先輩について!・・・でどうっすか?一緒に昼食いながら。」
あたしは、怖かった。
だから、その笑顔に思わずうなずいた。
「よしっ!ほら、さんもジャッカル先輩もさっさと部室に入った、入った!」
赤也が促してくれるのであたしは足を進めた。
(・・・・怖かった)
本当は丸井くんだけじゃなくて。
みんながあたしのことを嫌ってるのかもしれないと。
転校してきて誰も友達なんかいなくて、クラスメイトにもまだ自分からなんて話すことができない。
あたしは、この学校で1人。
ただでさえそんな思いに襲われるのに。
出会ったばかりの人にあからさまに嫌われているというのは、とても辛かった。
「・・・四つの肺を持つ男?」
「体力バカっすよ、簡単に言えば。」
「赤也。それは俺がこの場にいることを知っていての発言か?」
あたしと赤也が隣に座り、机をはさんで向こう側に桑原君が腰掛ける。
あたしの目の前には桑原くんからわけてもらったパン。
でも絶対放課後の部活に支障を出してしまう気がするので
あとで桑原君にはあたしが持ってきているお弁当をわたすことで合意している。
赤也が「俺もさんのお母さんの手作りが食べたい」と言ったけどあえて流したあたし。
「・・・・あれ?」
「なんすか?」
「・・・・確か4つの胃を持つのって」
「牛だろ!俺は胃じゃなくて肺!!」
「あははっ・・・・ジャッカル先輩、牛!今度からそれにしましょうよ!4つの胃!!」
「・・・赤也。お前な・・・・・」
赤也の爆笑再び。
桑原君は眉間にしわをよせてあきれてる。
あたしはもらったパンをひとかじり。
「だいたい4つの胃を持ってるって言うなら丸井のほうだろ?」
・ ・・・・丸井くん?彼が大食漢だとでも言うのだろうか。
あたしのパンを持っていた手が下がった。
桑原君がはっとして、赤也が桑原君を睨んでいた。
舌打ち。溜息。拒絶の目。
この場の空気の悪さはあたしのせい。
「ごっごめんね、丸井くん、出て行っちゃったのあたしのせいだよね!」
「・・・・・さん。」
・・・・・・・・・・・・・・・しまった。完全に墓穴を掘った。
自分で言って自分でダメージをもらって。
自業自得。
でも真実だ。
あたしは丸井くんに嫌われていて。
(・・・・・なんでか)
なんでなのか、知りたかった。
「・・・・・・・気にすんなよ、」
あたしのうつむいていた顔があがる。
あたしは桑原君と目を合わせる。
「・・・・あいつがバカなだけだから」
「・・・・バカ?」
「・・・あーいいのかな、ジャッカル先輩。あとでブン太さんにちくりますよ?」
「いや、それはやめろ。」
再び桑原君の眉間にしわ。
今度は冷や汗をかいていて。
赤也が笑顔だった。
(そんな、理由・・・?)
‘バカだから’
赤也がひとしきり桑原君をからかって小さくつぶやいた。
「まっ。確かにバカっすよね、ブン太さん。」
そのつぶやきは部室中に響き、
その声に桑原君は苦笑する。
あたしは、わからない会話の中に1人ぽつんと残され、
でも、わかったのは。
あたしの手を掴んで昼に誘ってくれた桑原君。
「・・・・大変だろうけど、がんばれよ。マネージャー。」
「(?)」
「どうした?」
「・・・なんか、変だなって。がんばれって言われるの。本当ならあたしが桑原君や赤也に言うんじゃ・・・・・」
「・・・・ああ。・・・そうだな、間違えた。」
桑原君は何か考え事をするみたいに
口元に手をあてて。
それからあたしを見ると笑って言った。
「がんばろうな、一緒に。」
わかったのは。
あたしの手を掴んで昼に誘ってくれた桑原君。
あたしを励まそうとしてくれていたこと。
その言葉に思わず笑った。
しっくりくるようなそうじゃないような。
ただとても、うれしくて。
「!!」
「・・・・・さんさ。」
「ん?」
「絶対もっと笑ったほうがいいよ」
あたしの目の前には口元を押さえる桑原君。
机に頬杖ついてあたしの顔を見ていた赤也。
いつの間にか食べ終わった3人分のパンの袋が机の上に散乱していた。
そのあと、あたしの教室についてきた2人。
あたしは桑原君にお弁当を渡した。
「ありがとう」そんな言葉が2人同時に飛び出した。
「・・・・柳。」
「・・・・・ジャッカルか。」
たとえ、嫌われていても。
あたしにはやるべきことがある。
マネージャーとして。
・・・・・・・・その理由がわからなくても。
みんながくれる言葉があるから。
「・・・お前なら知ってるよな?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「答えろよ、柳。」
どんなに嫌われていても
かき消せない想いがあるから。
「なんで幸村はをマネージャーに選んだ?」
「・・・ジャッカル。」
「・・・・・・・・・・・・・・・丸井をからかうためか?」
「・・・・は、思っていた以上に仕事をしてくれるな。」
「・・・・・なんでだよ、わかってただろうが。」
不純な動機。
会いたいと。
ただ会いたいと。
「・・・・・・・・・・・・・わかってただろう?」
あたしの心、晴らした人。
「苦しむのはあの二人だって。」
end.