風ふくみ、
風呼び吹かせ、
くるり、
くるり、
からからと。
「差し上げます。」
風ふくみ、
風呼び吹かし、
回れ
風車。
『風呼車』
「おはようございます、景吾様。」
「・・・・親父は?」
「貿易商のことで話があると朝早くお出かけになられました。」
「またか・・・・」
時は、明治。
鎖国が終わり、
この国は、外国に何もかも追いつこうと必死に迷走を続けていた。
俺の親父は貿易商をしていて
それで稼いだ金は有り余るほどだというのに、
まだ利益を欲する。
・・・俺の親父もまた、この国同様迷走を続けていたんだろう。
「景吾様、朝食はいかがされますか?」
「・・・2人のときはその呼び方はやめろ、。」
「・・・そうも、・・・いきません」
「・・・はぁ・・・・お前はもう食べたのか?」
「・・・・・いえ。」
「なら一緒に。」
「景吾様、できません」
「・・・・・・・・」
は、言わば俺の家の奉公人。
俺の母親は俺が小さい頃に死んで、
今この屋敷には俺と親父が住んでいるわけだが、
屋敷そのものが無駄に広い。
ここには古くからの奉公人が住みこみで働いていて、
は母親と共に俺の屋敷で奉公している。
大体は歳もそこそこの女中ばかりだが、は俺と同い年だったため
親父直々に俺の世話係りに任命されていた。
「なら、いらない」
「え・・・・・」
「・・・・・・・・」
朝起きてから、広間まで来るべく降りてきた階段を俺は再び上り始めた。
「けっ景吾様!!」
「・・・んだよ」
「あの、今日は何をされて過ごされますか?」
「機嫌取りならたくさんだぜ?」
「そっそうじゃありません!!」
俺の、階段を上る足が止まる。
が階段に足を乗せる一歩手前まで駆け寄ってくる。
女中たちがみんな着ている着物を着て、髪をあげてる。
無駄に広いこの屋敷のこの空間で、
俺とは2人だった。
「・・・・親父が新しい洋書を手に入れたらしいからな。それを読むつもりでいた。」
「そう・・・ですか・・・・」
沈黙に溜息一つ。
俺が言った言葉を聞けばがあわせていた目線を下へとおろす。
階段の途中から見下ろすは、
何が言いたいのだろうか。
黙ったままうつむくから、俺から話を進める。
「・・・紅茶。」
「え?」
「飲むからもってこいよ。も俺の部屋で好きな本を読んでろ」
「でっでも・・・・」
「これは命令。世話係だろ?」
俺の世界は、とても狭かった。
「・・・はい!!」
文明開化だなんだと騒いでもそんなもの形ばかり。
俺は学校へ行かず、
いや、正確には行かせてもらえず、
家庭教師によって必要な知識をつめこめられた。
このただ広いばかりの屋敷に閉じ込められ、
何一つ不自由することなく育てられた。
親父の大事な貿易会社を継ぐためだけに。
本当に、とても幼い頃からわかっていたことだった。
別段、それでかまわなかった。
欲しいものがあればすぐに手に入ったし、
何しろ、俺は1人ではなかったから。
「また数が増えたんですね」
「最近は洋書の和訳も出始めたからな。」
「あっ・・・これ。前景吾様が洋書で読んでらした・・・・」
俺の部屋には机の上に紅茶と、茶器が並べられ、
並ぶ本棚の前では
が本とほとんど睨みあっている状態だった。
・ ・・・なんとも優しい目のにらみ合いだが。
「くくっ・・・・よく覚えているな、俺の読んでいた洋書なんて」
「・・・・・それは・・・世話係りですし・・・・」
「・・・・・くくっ・・・読んでみるといい。なかなかおもしろいものだ。」
俺は部屋にあるソファーに腰をかけ、
親父の書斎から拝借してきた洋書を片手に広げていた。
目線はに。
がからかう俺を怖くもない目つきで睨んでくるからだ。
「・・・・・景吾様の本は・・・」
「2人きりのときはその呼び方はやめろって言っただろ?」
「・・・・・・・・」
「・・・・・。これは命令。」
が本を一冊、本棚から手にとってこちらを向いて突っ立ていた。
少し顔を赤くさせ、
うつむいて。
「・・・・・景吾・・・さん?」
「・・・・まっ、お前にしては上出来だな」
「・・・・・母さんにばれたら叱られます。」
「ばれたら、だろ?」
俺の世界は、とても狭かった。
ただ広いだけの屋敷。
会うのは親父でもなく、母親でもなく他人ばかり。
それでも、よかった。
「座れよ、」
「・・・失礼します。」
は俺と向かいあうような位置にあるイスに静かに腰をかける。
紅茶の香りがただよう部屋で
俺は本へと目を落とし、
時折顔をあげては
を見た。
時折目が合えばに笑った。
は顔を赤くさせ、本に視線を戻すことしかしなかった。
「・・・景吾、さん。」
「あ?」
「・・・本を読み終えたら、外に行ってみたらいかがですか?」
「外?」
「いつもお屋敷にいらっしゃいますし、たまには外へ。・・・どうでしょうか?」
「・・・俺は町を知らない。」
馬車に乗って通り過ぎるだけだから。
「私が知っています。」
俺の世界は、とても狭かった。
ただ広いだけの屋敷。
けれど、平気だった。
欲しいものがあればすぐに手に入ったし、
何しろ、俺は1人ではなかったから。
「一緒に?」
こくっとうなずく。
思わず、笑った。
いつも奉公人の立場を気にしてばかりいるくせに。
俺は本閉じるとのところへ真っ直ぐ歩いていった。
驚くのことなど気にも留めず、
その手を手にとって、
イスから立ち上がらせる。
「バーカ。行くなら今からだろ?本を読んでいるより、ずっといい」
‘お前と、歩いていたほうが。’
俺はの耳元で言った。
は顔を赤くして怒った。
怒って俺を睨んだ。
まったく怖くないので、俺はが驚いても気にも留めず、
その唇に短くキスをした。
「景吾さっ・・・・」
「行こうぜ、。」
顔を赤くするの手を引いた。
広すぎて俺と以外見当たらない屋敷の中を歩いて、
町へと向かった。
ガキの頃の記憶など薄れていくものだが、
がいつも近くにいたことだけは覚えていた。
どんなに孤独な夜も、
朝起きればに会えるから怖くなどなかった。
ガキの頃から奉公に来ていた母親と俺の屋敷で住み込んでいた。
いつも俺の願いを聞き届け、
いつの間にかは俺の世界のもっとも大事なものになった。
「。なぜみんな花を?」
「花屋さんが近くで歩き売りをしているんです、きっと。」
「花屋?」
「あっほら。」
町の通りは人の行き来でにぎわっていた。
俺とをすれ違っていく人々はみな、何かしら花を持っている。
一本のものもいれば花束のもの、
花はみな違う。
が指をさしたほうを見れば花を籠に入れた男が確かに花を歩き売っていた。
「綺麗ですね。」
「・・・・欲しいのか?」
「あっいえ。」
きっとは
一輪の花でさえ喜ぶだろう。
買ってやりたかったが、俺は一文も持っていない。
の横顔。
花屋を見つめる。
親父、金というのはこういう時に使うものだろう?
「・・・・買って来ても、いいですか?」
「・・・え?」
「あの、母が喜ぶと思うので」
俺の隣をが離れた。
は花屋のところまで行くと一輪花を選び出し
花を買ったらしい。
俺が持っていないのに、が金を持っていたなんて、
(皮肉、だな)
「景吾さん!どうされたんですか?ぼうっとされて」
「いや。・・・・・・・・・・・・・・・・。それは?」
「あっ・・・おまけだと言って花屋さんが・・・」
俺のところに戻ってきたの右手には一輪の桃色の花。
そして左手には、
俺が見たことのない花。紙製の花びらがついた木の茎。
「・・・・花か?」
「え?くすっ・・・・これは風車と言うんです。」
「風車?」
が俺を見て笑った。
俺が聞き返すとはふーっと左手の紙の花びらを吹いた。
くるり、
くるり、
からからと。
回るは、花。
「子供をあやす玩具とでも言いましょうか。風が吹くと上の部分が回るんです。」
「・・・・花みてぇだな。」
「そう言われるとそうですね。」
俺が‘風車’をじっと見ていると、
は俺と風車を交互に見て
突然俺に笑った。
「差し上げます」
の右手に花、左手に花。
少し吹いたそよ風に、
風車が回った。
「・・・・・どうしろと?子供の玩具だろ?」
「枯れない花だとでも思ってください。子供ではないですが、私は風車好きですよ。」
「・・・・は子供だろ?」
「・・・景吾さん・・・・」
くるり、
くるり、
からからと。
枯れない花は俺の手の中で回る。
の右手の花がしおれないように
俺とは屋敷へ急いだ。
急いで歩くと風車が回ったので、それを見ていると
に突然声をかけられる。
「・・・そんな顔もされるんですね」
「あ?」
「景吾さんも子供ですね」
「・・・・・俺はいつもどんな顔だと?」
「・・・内緒です。」
「・・・?」
俺の世界は、とても狭かった。
文明開化だなんだと騒いでもそんなもの形ばかり。
俺は学校へ行かず、
いや、正確には行かせてもらえず、
家庭教師によって必要な知識をつめこめられた。
このただ広いばかりの屋敷に閉じ込められ、
何一つ不自由することなく育てられた。
親父の大事な貿易会社を継ぐためだけに。
本当に、とても幼い頃からわかっていたことだった。
別段、それでかまわなかった。
欲しいものがあればすぐに手に入ったし、
何しろ、俺は1人ではなかったから。
がいたから。
「景吾。話があるんだ。来なさい。」
俺の部屋に一輪挿しの花瓶が置かれた。
入っているのは風車。
できるだけ回るようにと、
(回っているものなんだろ?)
俺は自分の部屋の窓を開けていた。
珍しく親父に呼ばれたその晩も。
風を待っていた。
風ふくみ、
風呼び吹かせ、
くるり、
くるり、
からからと。
「景吾。今まで黙っていたがお前には婚約者がいるんだ。もうじき式を挙げる予定だから、わかっておいてくれ。」
風ふくみ、
風呼び吹かし、
回れ
風車。
End.