幼い頃から承知していたこと。







「景吾様、ご婚約おめでとうございます。」


「・・・なぜそれを?」


「・・・旦那様から口止めをされていましたが、以前から奉公人の間では有名でしたよ?」







俺に朝食を運んできたのは、の母親。



毎朝必ず一番に俺に顔を見せるの姿が今日は、なく。



親父にあの話を聞かされた翌日のことだった。








‘景吾、お前は私の跡取り。この結婚はその第一歩だとでも思ってくれ。’








幼い頃から承知していたこと。





「・・・・・・・・」





この鎖、


絶つ術など、俺にあるはずもなく。










































『風呼車2』

































































やけに香る。



この香りを放つのがバラという花だと教えてくれたのは、



だった。





ですか?今朝はバラの朝摘みに行くと言っていましたが」





やけに香る。



甘い香り。



呼吸をすれば肺中にその香りが行き届くのではないかと思うほど。



屋敷の敷地内の裏に位置するバラ園。



死んだ俺の母親が好きだったという親父の所有物。



俺は探していた。



いつも通り、女中たちが着る着物に身をまとい、髪をあげているその姿。



甘い、匂い。





!」


「景吾様っ・・・・」





聞きたいことは唯一つ。









































「知っていたのか?」












































































































































俺は見つけたの姿に近づくと、



の手首を掴んだ。



の手にしていたバラがレンガ敷きの小道へと落ちる。



俺の目での目を捕らえる。



そらすことも、隠すこともさせまいと。





「なっなんのことですか?景吾様・・・」


「知っていたのかと聞いている。」


「・・・・・・・・・・・」


「・・・。」





俺に婚約者が決まっていて、



もうじき結婚することが決まっていて。



昨夜、親父がやっとそれを告げた事は屋敷中の奉公人が知っていた。



聞きたいことは唯一つ。



が俺の目をとまどいながら見つめる。



それ以上口を開くこともない。



甘い、匂い。



バラが俺とを取り巻く。






「・・・・・・・・景吾様に、決まった方がいることは・・・」


「・・・・・・ならなぜ何も言わなかった。(ならなぜ)」






変わらず俺の側にいた。






「・・・俺をからかっていたと?俺が何も知らずにいるからと。」


「っ・・・・違う!そうじゃありません!!」


「わかっていたんだろ?こういう日がくることは。」


「景吾様っ・・・・・」





俺の狭い世界、



特別のお前。



いつも側にいたからそれがこれからも続くと信じて疑わなかったのに。



俺に婚約者がいるとわかっていたならなぜ?



なぜ昨日一緒に町へ出かけた?



なぜキスをしても何も言わなかった?



なぜ?





「景吾様っ・・・いけませんっ・・・・」





俺の唇がに近づく。



なぜ?



バラの香り。



甘く。



甘く、甘く。






<どんっ>





「・・・・・・ってーな」


「やめてくださいっ・・・こんな・・・・」


「・・・今更、拒むのか?」


「(!)っ・・・・・・・・景吾様だってわかっていたではありませんか!!」





が俺を突き飛ばす。



俺の手からの手首が離れ。



俺はの顔を見ず、の手からこぼれたバラを見ていた。







「っ・・・・私が・・・・ただの奉公人で・・・っ・・・景吾様はその家の主のご子息で・・・・」


「・・・・・・?」


「っ・・・近づかないでください」


「おいっ・・・







はうつむいていた。



に触れようとした手はによってはらわれる。



風が、吹いて。



バラの花びらがさらわれ、



バラの香りがさらわれ。









「・・・・そうです。・・・・からかっていたんです。」


「・・・・・・・・・・」


「けれど、どうかご安心を。もうあなたにはかまいませんから。」


「・・・・・・・・・・」


「・・・・・っ・・・・さよなら・・・・」








風が、吹いて。



がさらわれたように、



俺の前から消えた。



俺の、前から。





「(・・・・・さよなら、か)」





泣いていたくせに。



からかっていたと言って泣いていたくせに。



俺を突き放すお前は、
























泣いていたくせに。


















































































































































































































































































俺の結婚の話は日が経つにつれて明確な事実へと



変わっていく。



あの日からは俺の世話係りをはずれ、



広い屋敷の中では会うこともなくなった。



俺はいまだに婚約者とか言う女の顔さえ知らずにいたが、



親父が会う機会を設けたらしい。



結婚の日取りも決まり、



その一週間前に俺はそいつと会うことになった。






「・・・・・ご」


「・・・・・・・・」


「景吾!」


「あ・・・・・」


「そろそろいらっしゃるぞ?」


「・・・・・はい」






俺は、自室にある一輪挿しに



手にしていた風車を戻した。





「・・・・・・・・・・・・」





風が吹かない。



どんなに部屋の窓を開けていても



俺の部屋の中で風車が回ったことは一度もなかった。





‘差し上げます。’





会いたいなんて、思ってはいけない。



枯れない花よ。



風はらみ、



風呼び吹かせ



くるり、



くるり、



からからと。






「・・・・そうです。・・・・からかっていたんです。」


「・・・・・・・・・・」


「けれど、どうかご安心を。もうあなたにはかまいませんから。」


「・・・・・・・・・・」


「・・・・・っ・・・・さよなら・・・・」






そう泣きながら。



だますなら、だましきってくれればいいものを。





(・・・・・には、無理か。)





昔から少し不器用で



優しい。



それは少しも変わらないから。









「景吾、いらしたぞ。」


「・・・はい」








今日は、俺の花嫁にはじめて会う日。



財閥の令嬢。



親父の会社の更なる肥大と拡大のために。



















「初めまして。景吾さんでよろしいですか?」


「好きなように呼んでくれてかまいません」

















この結婚は俺が跡取りになるための第一歩だと。



幼い頃から承知していた。



婚約者の父親と俺の親父が互いに笑いながらあいさつを交わし始める。



俺はただ顔に作り笑いを浮かべ。



俺の目の前の女は俺を見て顔を赤くさせていた。





(・・・・・わかっていた)





幼い頃から承知していた。



わかっていた。



でも



‘景吾様’



幼い頃から好きだった。



俺の世界の特別。



1人の夜もすぎればに会えるから、怖いものなど何一つなく。






<ガタガタっ>





「今日は風が強いですな」


「おや、さっきまでは吹いていませんでしたのに。」





親父の言葉に、屋敷の窓が外で吹く風に揺らされていることに気付く。



・ ・・・・・・・・・風だ。



風が、









「・・・・・・・・・・・?」


「景吾!どこに行くんだ!!」


「すぐに戻ってきます!」








長い廊下を走り、俺は階段を駆け上がる。







風が、


































































































風が、泣いてる。





















































































































































































































<ガチャっ>






「(!!)」


。」


「・・・・・・・・・・・・・」





くるり、



くるり、



からからと。



一輪挿しに入った風車が回る。



俺の部屋のカーテンがゆれ、



部屋の窓際に、たたずんでいたのはだった。






「・・・・待てよ。どこに行くつもりだ。」


「・・・・・・・・・・・」





は一度俺を見ると、



俺を通り過ぎて部屋から出て行こうとする。



俺はそれを言葉で静止した。





「・・・・・風が強くなってきて、景吾様の部屋の窓が開いているのが見えたので閉めに来ただけですので。」


「その割には窓が開いたままだが?それに窓は開けておいていい。風車が回る。」


「・・・わかりました」





くるり、



くるり、



からからと。



が、再び足を進めようとしたのを俺は見逃さない。






「景吾様っ・・・・・」


「2人のときはその呼び方はやめろ。」


「離して下さい!!」







後ろから抱きすくめるの体は小さい。



離せと言われても離すつもりなどさらさらない。



俺の部屋に風が吹き抜ける。



くるり、



くるり、



からからと。












「・・・・・・・・・・会いたかった」


「っ・・・・・・・・・・・」


「会いたかった、










風はらみ、



風吹かせ、



回れ、風車。





「・・・・・・婚約者の方がいらしているのでしょう?」


「・・・・・・・ああ」


「・・・・・・・離してください。景吾様、行かなくては。」


「・・・・・・・・・・・」


「・・・離して、ください」





幼い頃から、わかっていた。



俺の手から、が離れ。



は俺を見ることなく、



うつむいたまま俺と向き合った。





「・・・・・・景吾様はご存知でしたか?旦那様がここから離れた遠くに新しいお屋敷を立てられたのを」


「親父が?」


「私はあさってそちらに母と移ります」


「・・・・・・どういうことだ?」


「今日と、明日がこのお屋敷でお使えする最後です。」





幼い頃から、承知していた。



だが、



幼い頃から好きだった。



少しだけ不器用で優しい。



風車を回す柔らかい風のように、



いつも俺を吹き抜ける。





「・・・・・・言ったではありませんか。あなたをからかっていたんです」


「・・・・・・・・・・」


「・・・さよならだと、言ったではありませんか。」





が顔をあげ俺に笑う。



嘲笑するかのように、無理して笑う。



そして、何も言わない俺を見て俺に背を向け歩き始めた。



その背中は、



あまりに。






「あの時。」


「・・・・・・・・・・・」


「あの時俺には、お前が泣いて見えた。」






あまりに、まだこんなにも近い。



が足を止めて俺に振り向く。






































































「どうか。・・・どうか、私のことなど信じないで。」
































































































































































































風車は、いつの間にか回ることをやめていた。



の表情は、



あまりに悲しく笑っていたから、



俺はを想う事をやめた。



俺がを想うことがそんな悲しみをお前に与えてしまうなら。











「景吾。どこに行っていたんだ。」


「すみません」


「今、明日パーティーをこの屋敷で開くことが決まってね。財界の方たちに、お前たち2人をお披露目しよう」


「・・・・・・・・・・・・・・・・」









想うことすら禁忌なら



それに、従うまで。



そういう風に育てられてきた。



このただ広いばかりの屋敷に閉じ込められ、



何一つ不自由することなく育てられた。



親父の大事な貿易会社を継ぐためだけに。



この鎖、



絶つ術など、俺にあるはずもない。



あるはずもない。




















































































































































































































「景吾さん・・・?」


「ああ。どうかしましたか?」


「いえ、中にお入りにならないのですか?」


「・・・・・・少し人に酔いました。今日は寒い。先に入っていてください」


「・・・でも」


「すぐに、行きますよ」





翌日のパーティーは夕方から始まった。



俺は婚約者と会場になっている広間を回り



親父に片っ端から人を紹介され、また紹介される。



盛り上がりが一段落し、



夜もふけてきた頃。



ふと、思い出してしまった。



明日、はこの屋敷からいなくなると。



今日は一度も会うことなく。





(何を、考えているんだ。俺は。)





想うことはやめた。



会いたいなんて間違っている。



昨日窓を閉めたから、きっと俺の部屋でもうあの風車が回ることはない。



バルコニーに出ている俺。



外は少し肌寒く。



風は、





(・・・・・この、香り。)





さっきまで吹いていなかったはずなのに。



甘い香りを、



俺に運んできた。



バラの、香り。





「景吾さん?」


「すみません・・・急用を思い出してっ・・・・・」





いる気がした。



会える気がした。



どうして、こんなに愛おしいんだ。



会いたいなんて、思うべきじゃない。



でも、だけど。



幼い頃から。



少しだけ不器用で、優しくて。















「どうか。・・・どうか、私のことなど信じないで。」














信じない。



信じない。



さよならなんて信じない。



俺は階段を上りきって自室に飛び込むと窓を開けた。



一輪挿しに入った風車が



くるりくるりと回りだす。



風に吹かれてからからと。



そして俺は再び走り出す。



あの甘い香りのする場所へ。



信じない。



さよならなんて信じない。



会いたいなんて間違ってる。



想うことはやめると決めた。



それでも、幼い頃から。



少しだけ不器用で、優しくて。



たとえ、



阻むものが世界であっても






















































































































































































































全てを超えて、会いに行きたい。






























































































































































































































聞こえるか?



風が、泣いてる。





「景吾様・・・・・どうして・・・・・」


「なんでだろうな。・・・わかんねえよ俺も。」





甘い香りが風にさらわれ分散する。



きっと俺はひどい人間だ。



触れてはいけないとわかっていても



を抱きしめるのだから。





「・・・・・・っ・・・・・どうして・・・・だってっ・・・さよならって・・・・」


「お前が信じるなって言ったんだ。」


「っ・・・・景吾様・・・・・」


「2人のときはその呼び方をやめろ」


「・・・・景吾さんっ・・・・・・景吾さっ・・・景吾・・・・・景吾っ・・・・・・」





出会わなければよかった。



そんな答えは寂しすぎる。



風が吹く。



俺の部屋の風車はきっと回っている。



くるり、



くるり、



からからと。





「・・・・なあ、。逃げよう。二人で。」





俺の腕の中では首を横に振る。



どんな俺の願いも聞き届けてきた






「なんでだよ。・・・・・これは命令だ。」


「聞けません。」


「なぜだ、


「・・・ひどいことを、聞くんですね。景吾もわかっているでしょう?」






俺はただ広いばかりの屋敷に閉じ込められ、



何一つ不自由することなく育てられた。



親父の大事な貿易会社を継ぐためだけに。



本当に、とても幼い頃からわかっていたことだった。



別段、それでかまわなかった。



欲しいものがあればすぐに手に入ったから。



でも、



どうしようもなく欲しいものは



どうしようもなく欲しいものだけは



どんなに抱きしめても、手に入らない。






「・・・・なんで・・・」


「・・・景吾」


しかいらねえのに。」






身分も金も屋敷もバラもいらない。



がいればいい。



風ふくみ



風呼び吹かせ。



くるり、



くるり、



からからと。



回れ、



風車。






「・・・もし、もう一度。違う未来で会えたなら。・・・・・・・例えば、生まれ変わって。」


「・・・・?」


「そしたら一番に私の名前を呼んでください。」


「・・・・・・・・・」


「そしたら、すぐにあなただと気付きますから」






抱きしめたままが言うから。



の言葉は



俺と一緒に言っているかのように伝わってきて。



風が吹く。



甘い香りを運んで。



風車を回して。



風が吹く。



こんな、確証もない未来の約束しかできない俺たちを吹き抜ける。



抱きしめる力を強めることだけでしか応えられない。




































「夢の中で会いましょう」








































一緒には生きられないから。



そのときだけはと



がつぶやく。





「・・・・・・・・。」


「・・・・はい。」





想うことすら禁忌なら



全ての想いをこの言葉にこめて。
















































「愛してる」









































身を縛る鎖はほどけない。



だが、



心までは奪われない。



風が吹く中で



交わした口付けは、



最後のの温もり。



あてのない約束をしよう。



もし、もう一度出会うことが出来たなら、



必ずその名を一番に呼ぼう。



そして今度は最後の口付けではなく、



始まりの口付けをしよう。















。聞こえるか?」













風が泣いてる。



風ふくみ、



風呼び吹かせ、



くるり、



くるり、



からからと。



風はらみ、



風呼び吹かし、



回れ



風車。



がいなくなった屋敷。



俺の部屋の一輪挿しで枯れない花は回り続けた。



風よ。


















































































































































































あいつを、連れてきてくれないか?









































End.