海の匂いだ。
どれくらい歩いたかなんてわからない。
真っ暗な夜
あたしは波の音に誘われた。
『聞こえてくる音』
うちの中学校特有の白い制服を着たままのあたし
カバンさえ持っていない
学校からここに来たんだっけ
一回家に戻ったんだっけ?
(・・・なんでもいいや)
なんでも、どうでも
制服のスカートのポケットをそっと探る。
「っ・・・」
ポケットを探った手が熱く痛む
ポケットから取り出したのは
カミソリと一枚の小さく折った紙
カミソリで切った手には血がにじむ。
裸足になって砂浜に降りた。
砂は暗闇のせいで冷たい
右手にはカミソリ
左手には折りたたまれた一枚の紙
冷たい砂浜を歩く
(どんっ)
「きゃっ・・・」
砂浜にうずめながら歩く足に気を取られて
あたしは何かにぶつかった。
「あっ亜久津?!ここで何してんの?」
あたしがぶつかった正体は山吹の不良亜久津。
「あ?」
機嫌が悪いのはあたしがいきなりぶつかったからですか。
「ごっごめん!」
「・・・・」
亜久津とあたしは見つめ合う・・・ダメだ
そんな甘い表現じゃない。
あたし睨まれてる!
亜久津はいつも通り煙草をくわえて
砂浜で一人、立っていた。
「今日は三つ編みじゃねぇのかよ。分厚いレンズの眼鏡はどうした?くくっ」
「・・・あたしが亜久津と二人の時にそんな格好でいるはずないでしょ?」
「はっそうかよ」
亜久津とこんなところで会うなんて思ってなかったけど。
あたしと亜久津は悪仲間。
学校ではおさげで三つ編み。
分厚いレンズの眼鏡をかけて
優等生を演じるあたし。
うちの親は娘にできる子であって欲しいらしい。
そんな文句を毎日のように泣きながら聞かせられるのはいい加減嫌になって
あたしは親の望む娘を演じる
亜久津の前以外。
「・・・なんだよ、それ。」
「ん?・・・ああ、これ?」
右手のカミソリ
左手の紙
あたしは左手の紙を広げて亜久津に見せた。
「この間のあたしの模試結果と偏差値」
紙にはグラフや数字
あたしの学力を表したものらしいね。
「・・・・」
「気にいらないんだって。あたしの親。成績があがっても。まだ足りないって」
学年で一位になっても
どんなに偏差値が上がっても
あたしの親はあたしを認めない
「・・・もう、疲れちゃったんだよね。」
「優等生ぶってるからだろ?」
「・・・うん」
初めて夜の街で見た亜久津は一人で立っていた。
誰にも有無を言わせず、自分の欲望に忠実で
誰にも、壊すことの出来ない存在。
あたしは、亜久津に憧れた。
亜久津はかっこいい。
計算なんかで動かない。
彼は彼であり続ける。
誰にも、壊せない存在だから。
亜久津に会う時は三つ編みをといて
眼鏡をはずして
本当の自分でいようと決めた。
「疲れちゃったんだ、亜久津。」
あたしは右手のカミソリを強く握り締めた。
血の匂いがする。
さっきスカートを探った時に手を切った血の匂い
暗闇に舞う
白い紙くず。
「手首じゃねえのかよ」
「亜久津に会うまではね。左手でも切ってやろうと思ったんだけど」
握り締めた右手のカミソリ
切りつけるのは
うすっぺらな紙の偏差値か
それともあたしの左手か。
あたしが選んだのは
偏差値。
「やっぱりかっこいいね、あんた。亜久津に会ったら死ぬの馬鹿らしくなっちゃった。」
生きたいと思っちゃった。
生きて亜久津にこうやって。
偶然でも会えたらなって
「・・・貸せよ」
「え?」
亜久津があたしの手からカミソリを取り上げた。
「あー!」
亜久津が暗闇の海に投げたカミソリは
この手に血を残してなくなった。
「やめるなら優等生にしろよ。てめー自身やめんな。」
「(!!)・・・ははっ・・・」
「・・・んだよ」
「亜久津やっぱりかっこいいわ。」
憧れて
憧れて
いつだって
目を奪われて
「亜久津。煙草邪魔。」
足下の砂浜に
白い偏差値の残骸
それを踏み締めて
煙草を口から離した亜久津と唇を重ねた。
切り付けるなら
今ある現実を
あたしを覆う偽りを。
あたしはあたしでいるよ。
偶然亜久津にいつどこで会ってもあたしのままでいたいから。
「ねえ、亜久津。」
自分で死ぬことをやめたあたしが最初に耳にしたのは、
波の音と亜久津の鼓動。
「死ななくて、よかったかも。」
今度はちゃんと、睨むんじゃなくて見詰め合って。
もう一度、浜辺でキスをした。
end.