消えないことがある。
『クローバー10』
「跡部。・・・跡部ー!」
「・・・・ん・・」
「珍C!跡部が俺に起こされてやんの。」
「・・・ジローか。今何時だ?」
「部活開始30分前。跡部はサボリでも俺サボリじゃないからね!今日自習だったから早めに抜けて来たんだ。」
「・・・俺のとこも自習だったんだよ」
放課後の時間が迫る今日最後の授業中。
俺は部室でスコア整理をしていた。
どうにも忘れがちになるこの仕事は
あいつの代わりに俺がやることにしたが、
その最中にイスに座ったまま机にうつ伏せて眠ってしまっていたらしい。
・・・・まさかジローに起こされるとは思いも寄らなかった。
「跡部、跡部。ちょっと早いけど打ち始めてようよ!」
「なら早く着替えろ、ジロー。」
「了解!」
「・・・・・・」
ジローが鼻歌を歌いながら自分のロッカーを開けてジャージをだした。
俺はスコアを整えて元あった場所へと戻す。
その間もジローは鼻歌。
「・・・・ジロー。」
「ん?跡部も早く着替えなよ。俺準備万端!」
「・・・お前、元気だな。」
「うん?当たり前じゃん!俺は元気だよ。あっ寝てないから?そんな日もあるって!」
「・・・・・・・・・」
消えないことがある
<ガチャッ>
「(?!)・・・・・・ネット。ジローがはったのか?」
「ん?違うよ、跡部でしょ?あれ?・・・俺が来るときはってあったっけ?」
部室はコート脇のすぐ側にある。
部室に入るときも部室から出るときも自然とコートは目に入るものだ。
俺が部室に入る前のコートにはネットはまだ張られていなかった。
だが、今ジローと一緒に部室から出てきてみると、
氷帝が持っているコート全てにネットがつけられ、すぐにでも練習が出来るように整えられていた。
「・・・跡部じゃないの?」
「・・・・・・・・」
「まっ誰でもいいよ!俺達がネットはる仕事が省けたし」
「・・・・・」
‘忘れろ’
と言った。
20分ほど経って、コートに続々と部員が集まり始めた。
レギュラー陣もコートに入って個々に練習を始める。
いつも通りの練習。
戻りつつある日常。
「あれ?跡部。宍戸は?」
「今日は委員会で遅くなるんだとよ」
「ふーん」
コートを見渡せばすぐにでもわかる。
忍足が一瞬動きを止めた。
鳳が大きく深呼吸をした。
向日がラケットを強く握り直した。
コートを見渡せば
誰がを思い出し、その度に思い出を心の底に沈めていっているか。
コートの上で誰もが涙を見せなくなったあの日から。
「・・・・・・・・」
「跡部?」
「・・・・・・・・」
忘れるべきだと思った。
のことを。
無理だと言っても
できないと言っても
俺達は泣いているべきではなかったから。
の為を思うならなおさら。
の為なら
を忘れることさえいとわない。
どんなに出来るわけがないと言われようが、
誰もできないと言うのなら俺だけでも振り向いてはならなかった。
だが、
消えなかった。
「・・・・跡部?俺から打っちゃうよー?」
コートで俺と向き合うのはジロー。
「・・・そうあせるなよ、ジロー。行くぜ?」
「よしっ来い!」
どんなにラケットを握っても
あの日のの手の冷たさが。
「あー負けた!!」
「ふんっ俺に勝とうなんざ無理なんだよ、ジロー」
「・・・くやCー!」
泣くのをやめ、悔しがるジローに
どこかとまどう俺がいる。
‘忘れろ’
そう言ったのに。
忘れようとしているのに。
おかしな、矛盾。
「忍足。サーブを打つ時にもっと高い打点を意識しろ。」
「・・・はいはい。またインサイトやな」
「跡部、跡部!俺は?」
「ジローはもっと重心を前にしろ」
「じゅうしん?」
忘れられないと言ったこいつらがを思い出すまいとしている。
思い出してはしまいこむ。
「景吾」
俺の中に残るあいつの優しさが俺の名を呼ぶたびに
振り向きたかった。
今のこいつらは前を見ている。
だから、俺1人が振り向くくらい平気だと。
「景吾」
どうすればいい。
今も残るあいつの優しさに甘えれば時計の針は巻き戻る。
忘れるしかない。
「ねぇねぇ忍足。さっきまではってなかったネットが勝手にはられてるって不思議だよね」
「勝手に?なんや、ジロー。いきなり」
「・・・・」
「岳人?どないしたん。お前が無反応なんて珍しいなぁ」
「いや・・・・別に。」
ずっと、消えない。
忘れようとしても
・・・・・。
お前の冷たい手の温度。
「なぁ、跡部。宍戸遅ない?いくらなんでも委員会はもう終わっとるやろ。」
「そう言えば来ないね、宍戸」
忍足とジローが休憩時に宍戸が来ないと騒ぎ始めた。
照り付ける日差しが強く、俺と忍足、ジローは部室で休憩している。
向日と鳳はそれぞれ外で木陰を見つけて休んでいた。
「忍足」
「・・・なんや嫌な予感」
「宍戸探してこい」
「やっぱりかい!」
「あー!俺も行っていい?跡部!」
「ジローは練習だろ。」
「跡部の意地悪!」
「せや!跡部は意地が悪いわ!!」
「あ?」
「・・・部活行きます」
「宍戸探して来ます。」
バタンっと忍足とジローが部室を後にし、ドアが閉まった。
1人部室に残った俺はスコアの整理が途中だったことに気付き休憩中に少しでも進めようとスコアの冊子を手に取った。
〈パサッ〉
スコアの冊子に横にならんでいた部誌が落ちた音だった。
拾いあげようとした俺の目に入ったのは、部誌と一緒に部室の床に落ちた一枚の写真。
「・・・・・・」
が映った、確かにレギュラーとと一緒に撮った記憶のあるもの。
「景吾」
振り向くな。
コートの上で誰も弱みを見せない、これが、戻りつつある日常。
の為を思うならさらに。
の為なら
・・・・・・・・・・・違う。
俺の為だ。
すべて、俺の為。
勝つ。
ただそれだけ。
その為なら
を忘れることさえいとわない。
(忘れたい)
消えないこの手に残る、その冷たさ。
お前が死んだと知ったときの
あの言い様のない喪失感。
忘れたい。
・・・・忘れたい。忘れたい。
いなくなるなら俺の中にあるお前の全てを一緒に、連れ去ってくれればよかったのに。
「・・・・・・・・・・わがままでしか、ねえな・・・」
俺の手にある写真の中のは、
俺を見て笑っていた。
例え、どんなわがままでも。
きっとなら許してくれる。
きっと、笑って。
「もっと自分のこと考えなよ」
・ ・・・考えてる。
自分のことしか考えてねぇよ。
でも、今もその優しさが呼んでくれるから
その冷たさが、この手を離れることを知らなくても。
(忘れたい)
最後に甘えるその優しさ。
俺の為になることが何もかも、
お前のためになればいいのに。
・・・・・・手が、
とても冷たい。
俺はスコアの冊子と写真を手に持ってしゃがんでいた。
まだ床に落ちたままの部誌を拾おうとするとさらにもう一つ、床に落ちているものを見つけた。
「・・・クローバー?・・・・・」
三枚の葉は、なぜか今まで見たどんな緑よりも綺麗に思えて。
俺はそれと部誌を持って立ち上がった。
「!?」
「け・・・ご・・・」
「・・・・・・っ・・・・・・?!」
その状況に息を呑む。
俺の目の前に、がいた。
部室の入口で喉を片手で押さえながら
は俺の名を呼んだ。
必死に
かすれるようなその声で。
「景・・・・・吾・・・宍戸・・が・・・・・・」
「宍戸?」
「さ・・・・がして」
「?」
の姿が少しずつ透けていく
「っ・・・!」
俺は手を伸ばそうとするが動くことができない。
「!」
「探して・・・け・・ご」
探して
〈バンッ〉
「跡部!宍戸が!!」
「!!」
「跡部?」
部室のドアを勢いよく開けて入って来た忍足
・・・は
はそれと同時に消えてしまった。
「・・・・(なんなんだ、今の・・・)」
「跡部。宍戸が大変なんや!」
「宍戸?」
かすかな声でが呼んだのは
俺の名と
宍戸。
「・・・宍戸がどうしたんだよ?」
「来てくれたほうが早いわ!音楽室や!!」
忍足は部室を飛び出して行った。
さっきまで動くことのできなかった体は今は動かすことができた。
俺は机の上に手に持っていたものを置き、忍足の後を追いかけようとした。
「・・・・・」
の手を握った手が冷たい。
一度見渡した部室
そこには先ほどのようにの姿は見当たらない。
「跡部!はよ来いや!!」
「・・・・」
俺は部室のドアを閉め、忍足の後を追いかけた。
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