「なんかさぁ仁王。」
「ん?」
そのとき初めて。
「最近おかしくね?」
「・・・・・・・」
重症なのだと知った。
(・・・・丸井に言われるとは。)
『溺れる、』
「におー」
「・・・・・」
「にお!仁王!」
「・・・一度呼べばわかる。」
「じゃあ返事してよ!」
「何?」
「遅いっ!!」
季節は冬のはずなのに。
雪も降らずに、空はいつまでも晴れていた。
屋上であぐらをかいて、貯水タンクの取り付けられている壁に背中をあずけ、
そんな空をぼんやり眺めていた俺の近くにできた薄い影。
それが誰のものかなんてすぐにわかっていたし、その声にだってすぐに気付く。
が、そっちを向いてすぐに応えてやろう、なんて気は起こさない。
だからまだそっちは見ない。だからまだ、空を見たままの俺。
「で?」
「今度いつ部活休み?」
「休みなんかなかよ。ずっと練習。」
「えー!!」
今更じゃろ、そんなの。
そう思っていたら、俺の隣に座る影。
彼女がそうして、そこでやっと俺は彼女を見る。
「・・・何か予定?」
「・・・・・別に、」
彼女は屋上の床、俺の隣に座り、膝を抱え込みながらつまらなさそうに白い息を吐いた。
「におが最近かまってくれないから聞いてみただけ。」
「へぇ。」
「・・・それだけ?」
もっともっとつまらない、そんな顔で俺の顔を覗き込む。
俺をじっと見てくるその瞳に、俺は先ほど吐いたばかりの息を吸い、寒い空気に吐き出す。
「・・・はぁ」
「また溜息!」
「・・・、もうちょっと静かにしゃべりんしゃい。」
「いつも仁王がなかなか返事してくれないからでしょ!聞こえてるかわからないんだもん!!」
「・・・聞こえてる。」
だから、今話してるんだろう?
俺の無言の声にも無言で俺に返してくる。
きっ、と俺を睨んだ目。(全然効果はない。)
すねても、怒っても、自分の望んだ態度が返ってこないのが悔しいのか、
は俺から視線をそらし、これでもかというほど小さくなって寒空を見上げた。
(・・・・・よく、)
よく疲れないなと、思う。
「(!!)」
「・・・寒い。」
空を見上げたままのの横顔に、俺は静かに手を伸ばしていた。
さらさらとしたその髪に指を少しからめると、が俺に気付いて驚いたように眼を丸くする。
と目があうと、俺はゆっくりと小さな動きで彼女の頭をなでた。
冷たい空気で冷やされたの髪は冷たいのに、の顔は温度をあげるようにほんのり赤くなる。
そして、笑う。
くすぐったそうに、恥ずかしそうに。
さっきまでのつまらなそうな態度はどうした、そう聞いたら、なんて答えるのだろう。
(・・・・よく、疲れないな。)
そんなにころころと表情を変えて。
笑っているを見て、俺はまた肺に思い切り冷たい空気を送り込む。
「・・・はぁ」
・・・溜息。
溜息、溜息。
白い形になっては、跡形もなく消えていく。
「また溜息!」
「・・・・今日も寒いな。」
「理由になってない。」
むっと膨れる。
の頭を撫でていた手を離すと、俺はその顔を覗き込む。
突然のことにがひるんだところを見計らって、今度は彼女の髪をわざとくしゃくしゃになるように撫でた。
「ちょっ・・・仁王っ!!」
「くしゃくしゃ。」
「誰のせい!!」
一生懸命手ぐしで髪を直そうとするを見ていた。
そんな俺の視線に気付くと、なぜかは。
・・・・・・・ほらまた、
(そうやって笑う。)
季節は冬のはずなのに。
雪も降らずに、空はいつまでも晴れていた。
疎ましいくらい毎日晴れて、
羨ましいくらい毎日、
「・・・はぁ、」
「また!!」
空みたいに笑ってる奴が1人。
「・・・にお、最近冷たい。」
「・・・・・・・・どこが?」
「溜息!」
「・・・・・・・・・・・・」
時折それは、
じわりと汗ばむように、俺を追いかけてきた。
・・・別に雪が降って欲しいわけじゃない。
の言葉に返事もせず、寒空に溜息にならないように息を吐く。
白く昇るそれを見て、俺はから視線を逸らす。
どんなに空に視線を送っても、俺の隣ではつまらなそうな顔で俺を見たままなのだろう。
・・・そうだ、別に空が晴れていたってかまわない。
ただ、もう少しだけでいいから。
冬なんだから、
冬らしくしてほしいと、思っただけ。
「・・・・・。」
ふいに彼女を見ればやっぱりつまらなそうな顔のまま、
俺が手招きしてもっと近くに来いと伝えても、それは変わらなかった。
少し戸惑って、でもそれは一瞬で。
俺の仕草に、座っていた位置からさらに俺の近くによる。
‘最近冷たい。’
・・・意識はしていないけれど、自覚はしていたから。
本当に少しだけ、気付かれないように苦笑した。
「・・・こら、寝るな。」
「・・・眠い。」
ポスッと俺の肩に乗る重み。
の髪が頬をくすぐる。
俺があきれた顔をして空を見ると、溜息をつかせるものかと、が先に「仁王は冷たい」と口を開いた。
思っていたよりもずっとつまらそうな横顔に、
俺の肩に寄りかかる頭を再び、少しだけ撫でる。
「・・・におー」
「ん?」
「これってラブラブ?」
「バカか、お前は。」
「バカってひどいっ!!」
すねた顔をするくせに、つまらなそうな顔をするくせに。
なぜかいつも。
ほらまた、そうやって笑う。
「・・・ほら、どきんしゃい。授業始まるとよ。」
俺の手がの髪から離れると、温度のない言い方に、はしぶしぶ立ち上がった。
そしてまたつまらなそうな顔。
そしてまた、俺の溜息。
「・・・仁王。」
「・・・教室行くとよ。」
突き放しては、引き寄せた。
「ほら、。」
屋上から校舎の中へ続く扉を開けて、に向けて手招き。
何がおかしいのか、何がうれしいのか。
なぜか、ほら。
またそうやって笑うから。
どうしていいか、わからなくなる。
(・・・・俺が、おかしい。)
時折それは、
じわりと汗ばむように、俺を追いかけてきた。
は、柳生のクラスメイトだった。
「あっ仁王。」
「、柳生は?」
「先生に呼ばれて行っちゃった。」
「相変わらずの優等生じゃの。」
暇つぶし、とでも言おうか。
柳生の隣の席だった彼女は、俺が柳生を待つ間の話し相手。
からかいがいのある奴で、思ったとおりの反応が返ってくる。
騙しがいのない奴で、なんでもかんでも信じてくれる。
淡白で、直球で、
「におはひどい!」
「はいはい。」
「また嘘つかれた・・・・」
単純すぎて、簡潔すぎて。
「・・・ごめん、。怒らんで。」
俺に騙されてからかわれて、どんなに悔しそうな顔をしていても、いつも最後は笑うから。
たぶん、ただおもしろいと思っていた。
おもしろいと思っていたら。
「仁王、好き。」
真っ直ぐな目で俺を見て。
ある日の放課後、何の前触れもなく、は俺にそう言った。
どうやってからかってやろうか、どうやって騙してやろうか、
と話そうとそんなことばかり考えていた俺には、
それはあまりに、淡白すぎて、直球すぎて。
「・・・いちよ告白なんだけど。」
単純すぎて、簡潔すぎて。
(・・・わかってる。)
・・・ただ。
ただ、初めて赤くなった頬を見て、
赤くなって、うつむいたの顔を見て。
それが妙にくすぐったくて、どうしようもなくて。
何の飾りもなしに、黙ったままの手を引いた。
「におっ・・・」
「・・・・・バカか。」
「なっ何でっ・・・?!」
・・・・バカか。
「好き」なんて言わなかった。
付き合おうとも言わなかった。
ただ、彼女が笑った。
俺が繋いだ手を見て。
ただ、一緒に帰っただけの道で、
はもう一度俺に言った。
「好き」だと、恥ずかしそうに笑った。
「・・・はぁ。」
「・・・溜息。」
「・・・ほっとけ。」
「どうせのことだろぃ?」
(だからほっとけ。)
頬杖ついた俺の前の席に丸井が足をくんでどかっと座る。
俺の考えなんかおかまいなしにいつものようにフーセンガムをふくらます。
俺はそんな丸井に軽く睨むように視線を送ると丸井がにやっと笑った。
それに何の反応もせず、また溜息を吐く。
「なんだよ、人の顔見て溜息吐くなよ。」
「・・・・はぁ。」
「うーわっ・・・そりゃも傷つくっての。」
・・・・・・は?
「・・・丸井、お前。」
から何を聞いたんだ。
言葉は途切れ、そこまで聞くことはなかった。
というか、そんな必要はない。
想像は容易、なぜならは単純。
「・・・なんだよ、最後まで聞けよ。が俺に何て言ったか。」
「必要ない。」
「うわっつまんねぇ。」
どうせ屋上で俺に向かって何も隠すことなく言ったものと同じだろう。
‘最近冷たい。’
丸井は俺のほうを見て新しくフーセンガムを膨らまし始めていた。
からかいがいのない奴だ、そんな文句を目だけで訴えてくる。
(丸井ごときにからかわれてたまるか。)
頬杖ついたままの俺は、自分の席から見える冷たいはずの空を眺めた。
「そんな余裕ぶってるからが冷たいって言うんだぜぃ?」
「・・・が俺を好きなのが悪い。」
「は?・・・え?それ自惚れ?」
「・・・・・」
丸井に視線を送らずに俺は空ばかり見ていた。
・・・やっぱり、‘冷たい’か。
が丸井に言ったこと。
俺が冷たい。
「・・・・はぁ。」
溜息。
溜息、溜息。
自惚れ、なんかじゃない。
俺を呼ぶときの声とか。
つまらなそうな言葉とか。
俺を追いかけてくる足取りとか。
あいつの全部。
俺が好きだと言ってくる。
(・・・暑苦しい奴。)
冬なのに、寒さもわからなくなる。
自惚れ何かじゃないと思う。
いや、確信。
わかりやすくて困る。
単純なくせに。
(・・・・・は、)
俺に、何を求める。
「あっ!におっ!!」
聞こえてきた声に、なぜか深く目を閉じた。
「おっじゃん。」
「丸井、久しぶりー。寒いね。」
「な。」
その姿を確認しようとはしなかった。
想像は、容易。
クラスに足を踏み入れば、は真っ直ぐ俺と丸井の座る席の元にやってくる。
頬杖ついたまま、深く閉じた目。
俺の前の方から聞こえるの声と丸井の声。
「ね、にお。」
呼ばれたから目をあけて。
ゆっくりに視線を移す。
が笑って俺の顔を覗き込む。
「眠いの?」
「・・・・いや。何か用?」
「・・・用がなきゃ会いに来ちゃダメ?」
俺の顔を見たまま、ふざけたように聞くが。
が少しだけ、寂しそうな目をした。
(・・・・考えているときに。)
お前のことを考えているときに。
急に、現れないでくれ。
「・・・おい、仁王。何フリーズしてんだよ。」
「・・・寒いからじゃなか?」
そんなわけねぇだろ。
丸井が軽口で笑うから、が一度丸井を見てつられたように笑う。
俺はそんなの表情を追いかけていたが、が俺に振り向いたことで、急いで丸井に視線を直した。
「今日部活終わるの待っててもいい?」
「・・・遅くなるっていつも言ってるじゃろ。」
「平気だよ。」
「・・・ダーメ。先に帰りんしゃい。」
今は冬。
日が暮れるのが早くても、時計はいつもと同じように時を刻む。
寒いばかりの空気の中を、がわざわざ俺を待つ必要を感じない。
それが、立派な理由。
を断る理由。
俺の答えに、がまた「つまらない。」そんな顔を見せる。
「・・・待ってる。」
「ダメじゃ。」
「なんで。」
「寒いから。」
「平気だもん。」
「・・・・、」
1人で、待たせたくない。
「困らせるな。」
つまらない、つまらない。
それから。
それから、少しだけ。
「・・・仁王のバカ。アホ。」
「はいはい。」
「ひどい。冷たい。」
つまらない、つまらない。
それから。
それから、少しだけ哀しい。
そんな目をして。
「バカ詐欺師。」
「・・・・他に用は?」
「・・・・」
俺の言葉に、がうつむく。
‘最近冷たい。’
どんなに溜息を吐いても。
白く昇っては、消えていくばかりで。
どうしたら。
どうしたらいいか、わからなくなるから。
(・・・・俺が、)
俺が、おかしい。
「・・・・・・・にっ仁王はっ・・・」
「(!!)」
うつむいていたが、俺の制服の裾を遠慮がちに掴んだ。
頬杖ついていた俺の左手の制服の裾。
想像は容易。
そのはずだった彼女の思いがけない行動に、の言葉の全てが終わる前に、
俺はの目を見て、彼女を黙らせる。
「・・・・触らんで。」
困る、から。
「・・・・・におのっ・・・仁王のバカっ!!」
休み時間の教室。
生徒もまばらなその中を、が俺の制服から手を離して、
すねたような顔して早足で消えていく。
ずっと見ていたその後姿。
俺が出来たのは。
「はぁ。」
「・・・お前、酷いだろぃ。今の全部。」
「・・・まだいたんか、丸井。」
「・・・・・・・・お前さぁ。」
俺と同じなのだろうがまったく違う。
そんな溜息を、丸井が吐き出す。
「・・・最近やっぱおかしい、お前。」
それは、どんな意味の笑いなのか。
丸井が俺を見て笑う。
・・・おかしい。
(俺が、おかしい。)
わかってはいる。
丸井に言われなくたって。
言われて初めて、重症だと、思ったけど。
また突き放しては言葉をなくして。
溜息ばかりをつく。
あの日、
あの日、俺は。
「好き」なんて言わなかった。
付き合おうとも言わなかった。
ただ、彼女が笑った。
それだけだった。
なのには、毎日毎日、あきもせずに、
あの日と同じ笑顔。
(・・・・・・ほらまた、)
そうやって笑う。
冬なのに、寒さもわからなくなる。
わかりやすくて困る。
単純なくせに。
俺に、何を求める。
(・・・・困る。)
困る、から。
「・・・・仁王くん。」
「・・・・・・・・・・・」
「仁王くん、どうかしましたか。」
「・・・いや、なんでもない。・・・・すぐ行くとよ、柳生。」
放課後の部活中。
休憩の終わり。
ずっと空を見ていた。
冬なんだから、冬らしくしてくれ。
ぽつりと思った。
俺を冷静にするために。
そう思うだけなのに。
は、柳生のクラスメイトだった。
暇つぶし、とでも言おうか。
柳生の隣の席だった彼女は、俺が柳生を待つ間の話し相手。
からかいがいのある奴で、思ったとおりの反応が返ってくる。
騙しがいのない奴で、なんでもかんでも信じてくれる。
淡白で、直球で、
(・・・・今も。・・・きっと、これからも。)
単純すぎて、簡潔すぎて。
俺に騙されてからかわれて、どんなに悔しそうな顔をしていても、いつも最後は笑うから。
たぶん、おもしろいと思っていた。
「仁王、好き。」
想像なんて容易。
そう思っているのに。
時々、思ってもないことをする。
単純なくせに、わかりやすいくせに。
つまらないと怒っては笑う。
が、少しも気付いてくれないから。
「・・・・・はぁ・・・」
俺は溜息ばかりだと言うのに。
「仁王くん。」
「・・・ああ。」
それは、じわりと汗ばむように俺を追いかけてくる。
(・・・帰ったら電話、か。)
とりあえず謝らない。
甘やかしたらつけあがるから。
だから、思う存分文句を言わせて、それから。
それから、遠まわしに。
が考えてもわからない程度に、伝えてみようか。
‘最近冷たい。’
・・・だって、本当は。
いつも笑うから。
ほんの少しの仕草で、ほんの少しの言葉で。
本当は。
(・・・・・あの時。)
あの日の、あのときの、あの告白。
あの瞬間。
「仁王、好き。」
・・・大切に。
大切にしようと、決めたから。
本当は。
抱きしめないようにするだけで、精一杯なのに。
「・・・・はぁ・・・」
あの日を思い出しては、溜息ばかりついた。
だって、たぶん俺は。
(・・・・・俺は。)
日はすっかり落ちて。白い息の濃度が増す。
1人暮らしのマンション。
エレベーターから降りてあける鍵。
部活中決めていた電話。
部屋についたらしようと、制服のポケットに入ったそれを握り締めた。
ガチャリ、そんな音を立てて俺の部屋のドアが開く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんで。
(なぜ。)
どうしていつも。
(・・・・・・・・・バカか。)
暗かった部屋の電気をつける。
目に入った見慣れた靴。
あるはずのないもの。
部屋の奥。
見慣れたベッド。
いるはずの、ない人。
なんで、ここにいるんだ。
「ん・・・・・・・」
見慣れた顔。見慣れない寝顔。
どうやって入った。鍵なんか渡した覚えはない。
なぜここにいる。
なぜ俺のベッドで寝ている。
(・・・・びっくりした。)
心臓が、止まるかと思った。
「・・・・・んー・・・・」
起きると、思った。
「・・・・に・・・お・・・・・・」
寝言なのか、そうかすかに聞こえて、起きる気配はない。
お前は、いつも突然だ。
肌寒いのか、もぞもぞと俺のベッドの上で丸くなる。
(・・・・バカだ。)
バカだ、こいつは。
わかっているのに。
なぜこんなことを思う。
・・・かわいいとか。
愛しい、なんて。
お前が気付かないから、俺は溜息ばかりだ。
抱きしめてしまわないように。
そう、思っているのに。
が寝返りをうつ。
揺れる髪。
それが頬にかかってくすぐったいのか、彼女は眉をひそめた。
「・・・・・・・・・・・」
俺の手がゆっくりとに伸びる
<ぱしっ>
「痛っ・・・・・」
「起きろ。」
・・・・俺が、危ない。
「あれ?・・・えっ・・・あ!におっお帰り。」
「・・・・どうやって入った?」
「ん?えっと・・・・管理人さんに彼女なんですって言ったら開けてくれた。」
(・・・・管理人。)
引っ越そう。
そう思っている俺の目の前。
まだ寝ぼけているのか。
「・・・んー」
ベッドに座り込んだまま、が目をこすって、まるで存在を疑うように俺を凝視する。
俺は腕を組んで彼女の意識がはっきりするのを待った。
早く起きて、出て行ってくれ。
(・・・・困る、から。)
困るから。
‘最近冷たい。’
わかってる。
俺がおかしいことも。
お前が、気付かないだけだ。
「よかった!!」
なのに。
「本当に仁王だ!」
「・・・・・・・・」
「夢かと思った。」
ほらまた、
そうやって笑う。
お前は、いつも突然だ。
俺を驚かせては、俺の溜息に怒る。
その笑顔が、俺の動きを止めさせることにも気付かないで。
今日怒っていたことは、もう忘れたのか?
そう聞いたら、なんて答えるんだろう。
・・・とにかく。
すっかり目の覚めたから俺は軽く視線を逸らして。
持っていた荷物を部屋の隅に置いた。
「・・・・帰れ。」
「うん、帰る。」
・・・・・・・・・・・・・・は?
いつもなら駄々こねるくせに。
つまらなそうな顔をするくせに。
「仁王に会いたかっただけだからもういい。」
単純なくせに、わかりやすいくせに。
想像なんか容易、そのはずなのに。
(・・・なんで。)
どうして、お前は。
なんで。
「また明日ね!」
・・・帰るな。
(帰るな。)
俺に背を向けて部屋の出口へと向かう背中。
俺は咄嗟にその腕を掴む。
「にお・・・・?」
「・・・バカか、お前は。」
「バカって!」
「バカ。」
頭を抱えたくだってなる。
はてなを浮かべて俺を見る。
首をかしげるな。
なぜわかってくれない。
「俺のベッドで寝るな。」
「にお?・・・怒ってる?」
「・・・俺の前で寝るな。」
不意に笑うな。
(心臓がもたん。)
もっと大人になりんしゃい。
無防備になんかなるな。
俺がなんて呼ばれてるか知ってろ。
いつも疑って。
いつも警戒して。
じゃないと全部、ダメになる。
「・・・なんで。」
なぜ、泣きそうな顔をする。
「・・・・・・・に、お」
もっと打算的になってくれ。
泣きそうな顔さえ、愛しいと思う。
「・・・・はぁ。」
俺が、バカなのか。
「・・・怒ってる?」
「・・・・・怒ってない。」
「本当?」
「本当。」
(・・・・笑うな。)
「よかった」なんて、笑うな。
無防備になんか、不意になんか。
お前にはわからん?
今この瞬間、の腕を掴んでしまったことへの後悔。
離さなくてはいけないのに、離せずにいること。
「・・・・・はぁ。」
溜息。
溜息、溜息。
吐いては逃がす、焦燥感と想い。
「・・・・また、溜息。」
そんなのつぶやきに、お前みたいに笑って返せない、その理由。
泣きそうな顔を、するな。
「・・・・は、何もわかってない。」
「・・・におが、教えてくれない。」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・私は、」
が、うつむく。
「私は、ずっと仁王が、」
が、俺をまっすぐに見た。
続きは、聞きたくなかった。
俺の手が、の腕を離れる。
「(・・・・・・・・・・・だって、俺は。)」
抱きしめたかったから。
(俺は。)
たぶん、忘れないから。
たぶん。
「に、お・・・・?」
「・・・バカか、お前は。」
「なっ・・・・・」
「・・・せっかく。」
ぎゅっと、音がするんじゃないかと思った。
それくらい夢中で、を抱きしめていた。
・・・せっかく。
せっかく必死で、我慢していたのに。
大切にしようと、決めていたのに。
「・・・決心がゆらぐ。」
「え?」
「・・・・なんで。」
知らないくせに。
何も、知らないくせに。
なんで、こんなに好きにさせる。
「・・仁王?話わかんないよ・・・・」
「俺も。」
「ん?」
「・・俺にもわからん。」
「・・・仁王にもわかんないの?」
頼むから。
「・・・・わからん。」
不意になんて笑うな。
単純なくせに、時々思ってもみないことをするな。
俺が、おかしくなる。
せっかく必死で我慢しているのに。
手を、伸ばさないように、理性を繋ぎとめているのに。
「わからん。」
「にお?」
ぎゅっと、音がするんじゃないかと思った。
それくらい夢中で、を抱きしめていた。
あの日を思い出しては、溜息ばかりついた。
だって、たぶん俺は。忘れないから。
たぶんだけど、忘れない。
「仁王、好き」
あの日の、あの瞬間。
忘れない、あのときを。
・・・たぶん、だけど。
たぶん。
一生、忘れない。
ぎゅっと、きっと音がした。
細い体、香り、白い首筋。
(煽るな。)
見ないように固く閉じた瞼。
「・・・はぁ。」
「におっ・・」
「わからん。」
「?」
「・・・なんでこんなに。」
好きなんだ。
「なんでお前さんは、」
俺の心ばかり奪っていく。
抱きしめる体温が温かい。
なぁ、知らないくせに。
俺の、溜息の理由。
考えたこともないくせに。
「に、仁王?」
おずおずと俺の背中に回る腕。
頼りなく、俺の制服を握り締める。
・・・やめてくれ。
どんな言葉も、どんな行動も、
愛しいだけだ。
「・・・にお、こっち向いて?」
「・・・ダメ。」
「どうして?」
きっと、笑う。
「におー」
「ダメだ。」
ぎゅっと、きっと音がした。
「苦しい」なんて小さな声。
細い体がきしむかと思うほど、俺の腕がを抱きしめる。
・・・見せるものか。
(・・・・かっこ悪い。)
熱が集まる顔。
見たらきっと、いつものように笑うんだ。
「に、お・・・苦しっ・・・・・」
「・・・我慢しんしゃい。」
「・・・・できない。」
・・・我慢。
(できない、か。)
「はぁ・・・・」
「・・・また溜息っ」
「・・・我慢できん。」
「ん?」
お前が、悪い。
どんな行動も、どんな言葉も、愛しいだけ。
少し体重をかけるだけで、の体が俺のベッドに倒れる。
ギシっときしむスプリングの音。
「に、おっ・・・」
「・・・・なぁ。」
「え?」
「なんでこんなに。」
大切にしようと、決めていたのに。
抱きしめることさえ、できずにいたのに。
全部無駄にしたのは、俺じゃない。
と、思う。
の肩口に埋めていた顔をあげた。
目が合って、が俺を見て名前を呼ぼうと口をかすかに動かす。
そんな唇に静かにあてた人差し指。
「もう、喋らんで。」
お前とキスを交わすのに、言葉なんかいらない。
かすかに触れた体温に、が目を丸くする。
しばらく俺を見つめると、ほらまた。
そうやって、笑う。
「(・・・・なんでこんなに、)」
なぜこんなに、好きなんだ。
聞いたら、お前は答えをくれる?
だからとしか、答えられないんだ。
「・・・・わからん。」
「ん?」
どうしようもなく、お前が好きなことしか。
「に、お・・・・」
「雅治」
「・・・ん・・・」
「呼んで?。」
呼んで。
「まさ・・・はる・・・?」
お前さんの声で。
「雅治」
笑うから。
変わらずに、今までも、これからも。
きっと、そうやって、俺の名前を呼んでは笑うから。
愛しくて。
もう一度、俺を呼ぼうとしたの声をさえぎった、触れた唇の温度を、
一体何に、例えることができたのか。
・・・ダメだ。
(俺が、おかしい。)
なぁ、なんで。
なんで、こんなに。
(・・・溺れる、)
End.