一年前の今日、約束をした。
一年後の今日、
全てを忘れると。
『ラストナイト』
「景吾・・・景吾待って!どこまで行くの?」
「行けばわかる」
太陽はいつの間にか隠れていた。
夜の帳が下りた暗がりの中。
頬にあたる風が冷たくなったのは、最近で。
秋の匂いと音が、木の葉のざわめきと共に近づいていた。
「景吾。早いよ」
「早くしろよ」
「もう!がんばって歩いてるよ!!」
「・・・・もう少しだ。」
繋いだ手の温もり、
きっと寒い空気だからこそいつもより温かく感じて。
先ほどから早足の景吾に半ば引っ張られるようにして、
行き場所も知らずにあたしは歩いていた。
ネオンの光る街中で足を止めることもなく、
どこへ向かっているのだろうか。
「・・・・景吾」
「あん?」
「・・なんでもない」
「なんだよ」
「なんでもないよ」
一年前の今日。あたしは景吾に告白した。
景吾は黙ったままだったから
そのときのあたしの緊張と恥ずかしさはこの世界から消えてしまいたくなるほど高く。
放課後の教室で。
景吾は言った。
「きょっ・・・今日で最後だね!」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・付き合ってくれてありがとう」
「・・・・・・・・・・・」
「いいって・・・言ってもらえるなんて思ってなかったから、うれしかったんだ」
景吾はあたしの手を繋ぎながら、
あたしの前を歩いていた。
あたしの声、届いてる?
景吾の背中に問いかける。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
何か、言ってほしい。
無言じゃなくて。
だって、今日は約束の日。
明日になればすべてを忘れるんだ。
あたしも、景吾も。
一年前。
景吾には美人な彼女がいた。
その人は景吾の婚約者。
氷帝でも有名なお似合いのカップル。
あたしはというと下っ端の生徒会役員をしていて
その関係で知り合った景吾に、恋をしていた。
無謀で、無残で、無駄な恋だった。
廊下で会ってもすれ違うだけ。
美人な彼女の隣であたしの好きな笑顔の景吾とすれ違うたび
胸が苦しくて。
このまま死んでしまうんじゃないかと思うことが何度もあった。
だが、一年前の今日。
景吾の婚約者が留学でアメリカに行ってしまった。
あたしはというと
そのときいまだに無謀で、無残で、無駄な恋の最中で。
放課後の教室に、1人残っている景吾を見つけたとき、
今なら、この想いを吐き出しても誰にも文句は言われないんじゃないかって、
それできっぱり諦めようって。
そう思って、景吾の迷惑も考えずに告白をした。
「跡部くんに彼女が・・・・いるのは知ってるけど、どうしても伝えたくて・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「あの・・・・・・好きです!」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
景吾は無言で
そのアイスブルーの瞳に映った自分を見たとき
ああ、なんてバカなことを言ったのだろう。
そう、思ったんだ。
「・・約束しろ、。」
「・・・・・え?」
「一年後の今日。全てを忘れろ。」
「あの・・・・・・・」
「俺が好きだったことも、俺と一緒にいたことも」
「・・・え?」
「もちろん。俺も忘れる。約束できるか?」
「・・約束」
一年前の今日、約束をした。
一年後の今日、
全てを忘れると。
「そしたら、お前を俺のものしてやる」
すれ違うたび、苦しくて。
あたしあなたと同じ方向に歩いていきたい。
あなたの隣を歩きたい。
あなたのものに、してくれるの?
一年後の今日、全てを忘れると約束すれば。
明日、留学から帰ってくるあなたの婚約者にすべてを知られなければ。
「・・・・・・ここだ。」
「・・・・・え」
考え事の最中、
景吾が足を止め、あたしに振り返って微笑んでいた。
あたしは息を呑む。
その景吾の綺麗さに。
「あん?何俺に見とれてるんだよ。見るものが間違ってんだよ、」
「え?」
「急がせて、悪かった」
景吾があたしの手を引っ張った。
ぐいっと景吾に寄り添って肩を抱かれ。
景吾が指差す方向を見た。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「これを見せたかった。」
「・・・綺麗・・・・・・・」
ネオンのきらめく街。
夜景。星の世界にいるみたいだった。
秋風が頬をなでても景吾があたしの肩を抱いているから寒くはなかった。
「・・・・ここ・・・」
「高台の展望。氷帝の裏側にあるんだよ、知らなかっただろう」
「すごい・・・・・・すごいっ・・・景吾、ありがとう!!綺麗!とっても」
「・・・・お前なら誰よりも喜ぶと思った。」
景吾の声色がいつもと違って聞こえて
ネオンの星の世界から
あたしはすぐ近くにいる景吾の顔を見た。
景吾はあたしじゃなく、アイスブルーの瞳に夜景にうつしたままだった。
「・・・今日で最後だからな。」
景吾からもれる白い、息。
ああ、こんなに寒かったんだ。
ああ・・・・・。そうだね、
そうだった。忘れていた。
一瞬だけ、夜景に心奪われて、あなたの隣に心埋め尽くされて。
最後だね、これは最後だったね。
「けっ景吾って意外に心配性だった!あたし付き合うまで知らなかった!」
「・・・・・・心配性?俺が?」
「そうだよ!それから意外に1人でいるのも好きで・・・騒がれることが好きなのかと思ってたのに!」
「・・・・それを知っておいて俺のまわりでよく騒いでたのは誰だよ」
「・・・・・あたしのこと?」
「バーカ。他にいねえよ。俺の側にいた奴なんか」
締め付けられる。
締め付けられる。
胸が、喉が、景吾に触れられている肩が。
笑いかけられれば赤くならずにはいられず。
おかしいな。
今、あたしはとても幸せなはずなのに。
好きな人の側にいられて、あたしは。
幸せって、こんなに苦しいものなのかな。
「・・婚約者さんとは連絡とってるの?」
「ああ。明日空港に迎えに行くことになってる」
「・・・そう・・・なんだ」
「・・・寒くないか?」
「・・・うん、大丈夫」
景吾のあたしの肩を抱く腕に力が入った。
背中越しに景吾の鼓動、体温。
寒くはないけど、せつなくて、苦しくて。
夜景がぼんやりとかすんで見えた。
(やばいな、泣いちゃだめなのに。)
今日が、最後。
これが最後。
景吾に寄り添うことを許される最後。
最後の、夜。
「・・・・・・悪いな。俺はさみぃんだよ、」
「え?」
頬を風がなでた。
ふいにあたしの唇が温かく包まれる。
驚きに見開いた目には、景吾のさらさらとした髪が映った。
「・・んっ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・ふ・・・あ・・・・・・」
長いキスに酸素を求めて口を開けば簡単に進入してくる舌。
そんなつもりないのに、
あたしの舌を追いかけられ、絡ませられる。
なんで。なんで、こんなこと。
苦しくて、呼吸も、胸も。
苦しい、苦しい。
景吾の手はあたしの頬を包む。
なんで、こんなこと。
今日が最後なのに。
「・・・け・・・・ご・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
離された唇。
目が合えば、あたしの頬には一筋涙が伝う。
「な・・・・・んで・・・・・」
「・・」
「ひどい・・・・・ひどいよ・・・なんでこんなこと・・・・・・今日で最後なのに・・・」
「今日が、最後だから」
「(!)っ・・・・ひどいよ!からかわないで!!」
「・・・・・・・・・・・・」
「からかわないで!!」
締め付けられる。
あなたが好きだから。
こんなに、こんなに。
一年間、一度もあわせなかった唇。
これが最初で、最後のキス。
「・・・・・・・なんで俺が・・・・生徒会で知り合っただけの女なんかと付き合ったと思う?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「眉目秀麗、似合いだと騒がれる婚約者がいるのに、だ」
「・・・け・・ご」
「・・・・・気付けよ、。これが最後だから」
あたしの頬を両手でそっと包んだまま。
景吾があたしの額に自分の額を寄せる。
こつっと音がして。
あたしの目は涙であふれて。
「・・・家が決めた婚約者。好きな奴がいてもどうにもならなかった」
あの日の放課後ぼんやりと考えていたのだと。
景吾は言った。
婚約者がアメリカに行き、
解けない鎖のほどき方。
考えていたら、解いてくれた奴がいた。
一年間しか、許されなかったが。
「・・」
ちゅっと音がした。
触れるだけのキス。
あたしはアイスブルーの瞳に映った自分を見つけ。
それがどうしようもなく、うれしくて。
涙が、とまらなかった。
「・・気付けよ、。からかってなんかない。からかってなんか・・・・」
「っ・・・・景・・吾・・・」
「・・・・・・気付け」
ささやくように言う景吾の声は夜の静寂に溶けていく。
‘言葉にすることは、俺には出来ないから。許されないから。’
景吾が瞼を閉じていた。
あたしの額に自分の額をつけたまま。
一年前の今日、約束をした。
一年後の今日、
全てを忘れると。
「・・・・・できないよっ・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・忘れるなんてっ・・・・・・できないよっ・・・・・」
あたしの頬を包む景吾の手に
あたしは手を重ねた。
景吾が好きだったことも、景吾と一緒にいたことも
忘れるなんて、できない。
「・・・・・・・・・」
「できなっ・・・・・・・・・・・・」
約束を違えて、すがりつく。
忘れたくない。忘れないで景吾。
忘れないで。
「忘れないでっ・・・・忘れないで・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「景・・・吾・・・・・」
嘲け笑ってくれればいい。
約束を忘れている、バカな奴だって。
明日になったらすれ違う。
何もかも忘れてすれ違う。
景吾も、あたしも。
わかっている。
何を願っても、何を口にしても
叶わない。
あなたの口から、好きだなんて聞くことはできない。
「・・やだ・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「できない・・・・・・」
さよならをください。
大嫌いだと言って下さい。
この心を壊してください。
みっともないって自分でわかってるから。
すがる手段さえ見失ってしまうような
そんな言葉をください。
わかってるから。
だから、もう。
最後の夜をとじましょう。
「。」
名前なんて、もう
呼ばないで。
「ごめん」
最後の最後で、知らされる。
景吾の優しさ。
でも今は、欲しくない。
景吾は言う。
ガキでごめんと。
本当は、知らせるべきではなかったと。
アイスブルーの瞳にあたしをうつしていてくれたこと。
抱きしめられる。
あたしが、泣き止むまで。
抱きしめてくれる。
あたしが、泣きやむまで。
忘れるんだ、全て。
忘れるんだ。
呼ばれた名前も、手のぬくもりも、一緒に見た夜景も。
あなたを、困らせないために。
これが最後の夜。
あたしがあなたのものでいる最後の、夜。
翌日、すれ違う。
美人な彼女の隣であたしの好きな笑顔の景吾と。
・・・・大丈夫。
忘れてみせる。
少しの隙間もあたしの心に与えず
埋め尽くしたあなたのこと。
(ただ・・・・)
止めた足。
振りかえり、景吾の背中を見つめ、
そっとなでた自分の唇。
(これだけは。)
最初で最後のキスだけは。
あたしの記憶に一生残ること
許して、ください。
end.