そこにいるのにいない。
隣にいるのにいない。
あいつがそうなのか。
私がそうなのか。
どちらもそうなのか。
それはまるで
蜃気楼のように。
『蜃気楼』
傲慢で自信家でプライドが高くて。
でも、
どんなに才能があっても
努力を惜しんだことのない奴だったから。
だから、かっこいいと思った。
「、先に帰ってろ。」
「・・・・なんで。」
「日が落ちた後のほうが暑いし、明るいうちに帰れ。まだ俺は練習してく。お前が付き合う必要はないぜ?」
「・・・・でも。」
「・・・・・気が散るんだよ。」
そう言って景吾は私に背を向けた。
夏の日差しは長い。
まだ空は明るく、青く。
見つめる景吾の背中は前も今も変わらず、
大きく、何かを見据えてる。
「・・・・わかった。」
「明日の朝はいつも通りに迎えに行く。」
「うん。バイバイ。」
「ああ。気をつけて帰れよ。」
私に背中を向けたまま、
景吾はコートに戻っていく。
(こっち、見てよ。)
今日の終わりくらい。
「・・・・・・・・・・・・」
暑い暑い夏だった。
蝉がうるさい。
蒸して、汗をかいて。
なんでこんなに暑い中で、あんなに必死になれるのか。
いつも不思議だった。
・ ・・・違うか。
必死なんて言葉、景吾には似合わない。
・・・・・夢中、かな。
夢中になって、ボールを追いかけて。
1人で辿り始めた帰り道。
コートで一番目立つ姿をちらっと視線におさめる。
ギャラリーの女の子達が「景吾様―!!」と騒いでいるのが聞こえてきた。
「・・・・景吾のバーカ。」
小さくつぶやいて、学校の敷地内を後にする。
今日見た最後の姿さえ、テニスしか見てないんだ。
あいつは。
一度は諦めた全国大会。
それが、叶った。
忍足も宍戸も向日も長太郎君も、いつも寝ているジロー君も。
みんな。
みんな。
前以上にテニスに夢中になって練習している。
景吾もそうだ。
前から変わらない練習姿。
いつも練習を見に行っても一度も目を合わせてくれたことがないほど集中している。
仕方がない。
景吾の一番はテニス。
テニスは景吾のものじゃないし、景吾もテニスのものじゃない。
でも、
景吾はテニスが好きで、テニスは景吾のすべてにも等しい。
「・・・・・気が散るんだよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
それは遠まわしに邪魔だと言われたのと同じ。
・ ・・別に。
景吾の一番になりたいなんて思ったことはない。
景吾の一番なんか初めから決まっている。
私はそれを知っている。
私は願ったって景吾の一番になんかなれない。
でも、付き合ってて思う。
そこにいるのにいない。
隣にいるのにいない。
あいつがそうなのか。
私がそうなのか。
どちらもそうなのか。
そんな感覚。
あいつが、テニスをしていているときに思うんだ。
私って。
景吾って。
まるで、蜃気楼みたいなんだと。
(・・・別に。)
景吾の一番になりたいなんて思ったことはない。
「よう、。」
「・・・おはよう、景吾。」
毎朝家の前で待っていると、黒塗りの車が静かに止まる。
それはもちろん跡部家の運転手さんが運転する跡部家の使用車で
中には景吾が乗っていて、
私を迎えにきてくれる。
開けられたドアから少し身をかがめて、景吾の隣の席に乗り込んだ。
「朝はまだ涼しいほうだからいいよね。」
「ああ。練習にはもってこいだ。」
「・・・・ねぇ景吾。」
「あん?」
いつもの綺麗な横顔は、なんだか本当に楽しそうだった。
子供みたいだ。
いや、子供なんだけど、
だっていつも中学生にさえ見えないのに。
「・・・・・今日も昼休みは練習するの?」
「ああ。コートが使えるときはできるだけ打つようにレギュラーで決めたしな。」
「・・・・ふーん。」
それ以上は何も言わなかった。
本当は、練習するんだよねって確認がしたかったわけじゃなくて、
久しぶりに一緒にお昼を食べたいと言いたかったんだけど。
・ ・・・全国大会へ行くことが決まってからは
景吾と一緒にいる時間は少ない。
別段、何もそれでかまうことはない。
景吾がテニスを練習している姿は私だって好きだから。
けれど。
(・・・・・・蜃気楼。)
「・・・・・・・。」
「ん?」
学校の正門でとまった車。
2人で降りて、車が行ってしまうと景吾はいきなり歩き始めていた足を止めた。
私は肩を並べていた景吾の顔を見上げる。
「朝練、見るなら教室からにしろ。」
「・・・え?」
「見えるだろ?コート。お前のクラスからでも。」
その声は淡々と。
「・・・見えるけど。・・・・遠いよ?」
「・・・・・いいから。」
「なんで?」
「・・・ギャラリーの女子に埋もれてるよりはいいと思うぜ?」
ふっと笑って、
あたしの隣を通り過ぎて。
(・・・・なんで?)
近くで見ていちゃいけないんだろう。
何も言い返せず、景吾の一歩後ろをついて歩き出す。
だって、
「・・・ギャラリーの女子に埋もれてるよりはいいと思うぜ?」
同じにされてるみたいだった。
いつも練習を見に行っても、
景吾とは一度だって目が合うことはなかった。
・ ・・・・・一緒なんだ。
景吾の中では。
付き合ってたって、私はコートの周りを囲むギャラリーの中の1人でしかない。
「じゃあな、。」
「・・・・うん。」
景吾はいつも見せる不敵な笑みで。
私に背中を向けて、すぐにコートに向かってしまった。
じゃあな、なんて言われたら。
私の居場所は、コートの周りではなくなってしまう。
景吾の言われたとおり、教室に向かう以外。
(・・・別に。)
景吾の一番になりたいなんて思ったことはない。
願ったって、祈ったって
そんなの無理だと知っている。
私のクラスからは確かにコートが見えて、練習を始めたレギュラーのみんなの姿が見えた。
教室の窓を開ければ、外の夏独特の湿った暑く重い空気が教室に入り込む。
「・・・・・・・・・・・・・・」
景吾が、ラケットをもつ姿が目に映る。
(・・・・・傲慢で。)
暑い暑い夏だった。
長い長い夏。
(自信家でプライドが高くて。)
けれど、どんなに才能があっても努力を惜しまない奴だったから。
だから、
(かっこいいと思った。)
テニスしか見てない。
ボールを追いかけて。
必死なんて言葉が似合わないあいつは、
夢中になって、前を見据えて。
はっきりと見えていたはずの姿が、いきなりにじみ始める。
朝早く、誰もいない教室。
「・・・・ねえ、遠いよ。景吾。」
そっと、つぶやいて。
遠すぎるコートの上。
にじむ目でずっとあいつを見ていた。
そこにいるのにいない。
隣にいるのにいない。
確かにさっきまで肩を並べて歩いていたはずなのに。
そこにいたのに。
蜃気楼は私。
景吾にとって、そこにいるように見えて。
実際はいないにも等しい存在。
どんなに見つめても一瞬だってあうことのない目。
あなたの目には、それしかない。
テニスは景吾のすべてだから。
あなたの一番になりたいわけじゃない。
こっちを、見ていて欲しいだけ。
「「「きゃー」」」
午前中の授業の終わりのチャイムが鳴った。
それは昼休みの始まりのチャイムでもある。
それが鳴ると同時に廊下から歓声と悲鳴が聞こえて。
「」
「え?・・・景吾?」
私のクラスに顔をのぞかせたのは景吾。
私はそれに気付くと急いで景吾のもとに駆け寄った。
「テニスの練習は?」
「監督がコート整備を業者に頼んだらしくてな。コートが放課後まで使えなくなった。」
「じゃっ・・・じゃあ一緒にお昼食べれる?」
「ああ。屋上に行くぞ。は弁当があるんだろう?」
「景吾は?」
そう聞くと、景吾が自分の手に持っていた紙袋を持ち上げて
私にふっと笑って見せた。
それは氷帝の購買のパンの袋。
この学校の購買は質のいいものしか売っていないから
景吾のように舌の肥えた人でも食べれるんだと、本人が言っていたのを聞いたことがある気がする。
景吾がいることによっていつもよりざわつきの大きい廊下。
久しぶりに景吾と昼を一緒にできることがうれしくて。
私は急いで自分のお弁当を持ってきて、廊下で待ってくれている景吾のもとに戻った。
「行くぞ。」
「うん!」
本当に久しぶり。
景吾の言ったとおりに屋上に向かう階段を上る。
本当に久しぶりだった。
いつもテニスの練習で、景吾とはお昼さえ一緒にいれなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
こうして一緒にいられる理由さえ、
コートが使えないからと。
テニスがらみで。
「?」
その声に、階段の途中で足を止めてしまったまま顔をあげた。
屋上の扉を開けたまま、景吾が私を来るのを待っていてくれた。
あけた扉から差し込んでくる光がまぶしかった。
私の顔を見ている景吾になんでもないと笑いかけて、
その扉をくぐって2人で屋上にでる。
「やっぱり暑いね!」
「日陰にいればそうでもねぇだろ。」
・ ・・そのとき、久しぶりに見たと思った。
不敵にじゃなく、余裕な感じでもない
優しいだけの景吾の笑顔。
胸が高鳴ったのが自分でもわかった。
景吾が貯水タンクが設置された壁が作る日陰の部分に座って。
私も景吾につづいて日陰の部分に座った。
屋上はやっぱり校舎内のほうが涼しいせいか、思っていたより生徒の数は少なかった。
仰ぐ空。
変わらず青く。変わらず明るい。
二人で食べ始めたお昼。
本当に久しぶりにたくさん他愛もない会話をしながら。
景吾の隣。
ここがいい。
私はここにいたい。
蜃気楼なんかじゃなくて、本当に、実際に。
あなたの、傍に。
「今日の放課後。」
「うん。」
「昨日みたいに先に帰ってろ。」
淡々と。淡々と。
「今日も遅くまで練習してくから。明るいうちに先に帰れ。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「いいな?。」
淡々と続けられる言葉に。
私は何も言い返せない。
だって、また昨日のように言われてしまう。
「・・・・・気が散るんだよ。」
遠回しに、邪魔だと。
いつも練習を見ていても、
一度だって目なんかあったこともないのに。
それくらいテニスに集中してる景吾。
わかっているんだ。
一番になんてなれない。
そんなこと望んでない。
・ ・・・ただ、
(・・・・・ただ。)
ねぇ、私。
「・・・・・・・・・・・・・?」
やっぱり蜃気楼なのかな。
あなたの隣にいるようでいない。
本当は肩を並べてここに座ってるわけじゃない。
遠くて。
景吾がいる位置は、届かないくらい遠くて。
考えれば考えるほどうつむいていく私の名前を、景吾が呼んだ。
私はうつむいたまま。
なかなか進んでくれない食欲。
お弁当の中身は私のひざに乗ったままほとんど残ってた。
「・・・あたし、待ってたい。」
「・・・・・・・・」
「景吾の練習が終わるまで待ってたい。」
「・・・・・・ダメだ。早く帰れ。」
なんで?
(・・・だって、傍にいるのに、傍にいられなかったら。)
本当に私は、蜃気楼になってしまう。
そんなの、嫌だ。
景吾の一番にしてなんて望まないよ。
だからせめて。
少しでいいんだ。
一瞬でもいいんだ。
「・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・バーカ。」
こっちを見てよ。
「何泣いてんだよ。」
「っ・・・・・だって・・・・・」
お弁当の箱を持つ手に力が入る。
その手に落ちていく滴は、
うつむく私の涙だった。
景吾の手が、私の髪をすく。
そっと撫でられ、その手は私の顎を持ち上げた。
「だって、なんだ?」
「・・・・・・・・て・・・・」
「あん?」
かすむ景吾の整った顔。
顎を持ち上げられ、景吾は目を細めて私の顔を見ていた。
「こっち、見てっ・・・・」
ふりしぼる声。
景吾が目を見開いて、私の顎を持ち上げていた手を離した。
(・・・・できっこない。)
そんなのできっこないよね。
あなたの目はいつもボールを追いかけて。
いつもテニスのことを考えて。
私はただの蜃気楼。
一番になれなくて、その目に映ることさえ叶わない。
かすむ目の前。
涙を拭おうとする私の手が、視界を完全に覆った瞬間。
私の唇に、優しく触れる感触。
視界を覆っていた手を離せば、景吾の端整な顔が間近にあった。
「景っ・・・・」
「・・・・・バーカ。」
一度話したかと思えば再び触れる唇。
繰り返し、繰り返し。
苦しさに、再び目の前がかすみ始める。
苦しい。
肺も、胸も、呼吸も。
景吾への想いも。
「っ・・・・景吾っ・・・・」
「見てる。」
「え・・・・・」
離れた唇。
私を覗き見た顔。
ただの優しい笑顔。
「ちゃんと見てるよ。」
別に、景吾の一番になりたいわけじゃない。
なれないってわかってる。
景吾の一番は初めから決まってるから。
だから。
せめて。
「だっ・・・・だって・・・・・」
「だからなんだよ、だってって。」
「・・・私が練習見てると気が散るんでしょ?」
「そりゃ散るだろ。暑い中で待たせてたら心配にだってなる。」
景吾の言葉に驚いてきょとんとしていると
景吾は再び笑ってみせる。
「バーカ」といわれ、私の頭に手をのせて
その手で私の髪をすく。
「・・・・朝練だって、教室で見ろって。」
‘・・・ギャラリーの女子に埋もれてるよりはいいと思うぜ?’って。
私が、他の女の子達と同じに見えてるみたいに。
「・・・誰だよ。毎回ギャラリーにまぎれて足踏まれたり、そのせいで朝から疲れる奴は。」
「・・・・・誰?」
「くくっ・・・・お前。」
「え・・・・・」
「朝練終わったあとが一番疲れた顔してんだよ。俺じゃなくてが。」
喉を鳴らして笑って。
驚く私にキスをして。
「・・・・全国大会が決まって。今は、俺も必死だからな。わかりにくいかもしれねぇけど。」
・ ・・似合わないよ。必死なんて言葉。
景吾が私の頭をなでる。
かすかに瞼を伏せて、何かを考えながら。
いつも余裕であふれてるくせに。
笑って、からかいながら私の髪をすいてるほうがずっとあなたらしい。
似合わないよ、必死なんて。
「・・・必死じゃなくて、夢中に見えるよ。私には。」
景吾が目を見開く。
そのまま視線を私に送る。
そっか。
だから、きっと。
「・・・・夢中か。」
「うん。」
景吾が微笑む。
夢中。
そう見えたからきっと。
他に何も見えていないように思えたのかもしれない。
私なんか、蜃気楼で。
隣にいるように見えて。
実はそうじゃなくて。
でも、
でも、本当は。
「。」
景吾がキスをくれた。
そっと触れて、離れて。
近くにあった景吾のアイスブルーの中に、
私が映ったのが見えた。
「好きだ。」
耳元で景吾の声。
顔を赤く染めれば、景吾がからかうように笑い。
次にキスを落とすのは、私の髪にだった。
わかったよ。
蜃気楼だと思い込んでいたのは私のほうだった。
ずっと、思い込んでた。
景吾は、私の隣にいてくれるようで、
傍にいてくれるようで、
本当は違うんだと。
あなたこそが蜃気楼だと。
でも、違うんだ。
お互いに、お互いのことを見てないと
わからないことを知ってるから。
「ちゃんと見てるよ。」
何に夢中だとか。
何に疲れるとか。
心配を覚えたり、髪をすいたり、キスをしたり。
傍にいないとできない。
ちゃんと、そこにいないと、
あなたがいないと。
私がいないと。
だから、これは。
この想いも、すべて。
蜃気楼なんかじゃないんだと。
End.