あたしの見ている世界は
みんなより一回りほど広い。
『小さき花』
さっきからあたしの足は限界にきていた。
「跡部さまー!」
「忍足くんこっち向いてー!!」
「「「せーの!宍戸センパーイ!!」」」
コートに向かって女子たちの声援。いや、叫び?
とにもかくにも黄色い声のひしめく
朝のテニス部の練習。
ぐるっとコートを囲むフェンス回りの大混戦。
みんな自分のお目当ての人が見たくて必死なんだ。
あたしもそんな中の1人。
(・・・もう・・・ダメ)
プルプルと震える足はそんな大混戦の中
お目当ての人が見たいがためにフェンスの向こうを見ようと
必死で背伸びしていたあたしの努力の結果だった。
どんなに背伸びしたってあたしには何も見えなかったけれど。
女子たちの群れにのまれ、もまれ。
「うわっ・・・・」
背伸びしていた足は本当に限界で
あたしは押したり引いたりする人波に絶えることができずにあっちによろよろ。
こっちによろよろ。
「「「「「「「「「「「「「「きゃー!跡部くーん!!」」」」」」」」」」」」」
ああ。もうじき練習終わっちゃう。
今日も見れなかった。
こんなにも騒がれるあの人。
すべてはこの身長が原因。
自分を呪った。
あたしは、小さい。
「きゃー!」
「・・・・おい、」
「?!」
人波にさらわれていたあたしの手を誰かがとって引っ張った。
あまりの高い歓声に大きすぎる悲鳴に
思わず耳をふさぎたくなる。
手を引かれ、人込みからよろめきながらも抜け出したあたしの目の前。
「けっ景吾?」
「何隠れてんだよ」
「隠れてたんじゃなくて埋もれてたの!!」
自分で言ってて悲しくなる。
そもそもあたしの声は景吾に届いただろうか。
何しろ周囲の悲鳴が耳に、体に刺さってくる。
あたしをからかうように笑いけけていてくれたはずの景吾も、そんな歓声に綺麗をな顔をゆがめた。
景吾はあたしの手を離すと甲高い歓声の中、あたしの耳元に口を寄せる。
ほんの少しかがんで。
「またあとでな、」
そうやってわざと声をかすれさせて
背伸びのせいで限界にきていた足がよろめき、顔を赤くさせるあたしに
景吾がまたいじわるな、からかうような笑みを向けて去っていった。
見ていたと思っていた景吾の後姿は
あたしと同じくその姿を目で追おうとする女子たちにあっという間にさえぎられてしまった。
「(・・・・・・・・・・・・・仕方がない)」
あたしは、小さい。
心が、とか度胸が、とかじゃなくてね。
・ ・・・体が、身長が他の子達よりだいぶ小さい。
ちょっと前の記憶だと日本人女性の平均身長は158cmだった気がするけど。
もちろん平均もあるわけなくて。
というか150cmもない。
この学園で一番小さい自信がある。それくらいあたしは身長が低かった。
だから、よく人の波にのまれ。
友達と街で待ち合わせなんてしようものならあたしを捜索するだけで時間がだいぶすぎてしまう。
そんな、小さなあたし。
好きな人を見るだけでも一苦労だったりする。
今日は晴れ空。
そんな日の休み時間の生徒会室。
白い長机。
広げられた書類の上で綺麗な手が筆を走らせる。
あたしは同じく長机で体を突っ伏して顔だけはしっかりとその方向へ向けて
じーっと眺める。
「・・・・・見とれるなよ。気になる」
「・・・・気になんてしてないくせに。」
「してるだろ?」
「・・・・嘘つきー」
綺麗な景吾の顔。
口角をあげて笑う。
景吾は生徒会の書類にいろんなことを書き込んでいる最中。
あたしがずっと景吾の顔見ててもその筆記の速さは変わることなんてない。
目線だってずっとその書類に向いてる。
机に伏したまま。あたしは景吾の手を目に映した。
「・・・景吾ー」
「あん?」
「・・・今朝思ったんだけどさ。・・・もしかしてまた身長のびた?」
「・・・・が縮んだんじゃねえの?」
「縮まないよ!!」
景吾が喉を鳴らして笑う。
・・・・またそうやってからかう。
思わず上体を起こしたあたし。
景吾が書類を書き終えたのか、あたしと目を合わせた。
あたしは景吾を見上げる。
座っていても見上げる。もちろん立ち上がっていてもそうだ。
いつもあたしは見上げてばかり。
これからもそれは変わらないんだろう。
別に見下ろしてみたいと思うわけではないけど。
あたしの見ている世界は
みんなより一回りほど広いから。
せめて一度でいいからあなたと同じ目線で、同じ高さで、景色を見てみたいなと思ったりする。
「・・・・景吾」
「・・・・なんだよ」
「・・・・・寝て?」
あたしは真剣だった。
ただ同じ目線で景色が見たいと、それだけ。
立っても座ってもダメなら景吾にも机に突っ伏してもらおうと思ったんだ。
あたしの発言に景吾が目を見開いたかと思うと突然腕をつかまれ席を立たされる。
宙に浮いたあたしの体。
「えっちょっ・・・・景吾っ・・・?!」
「軽いな。・・・お前の中身は綿か。」
「違う!!」
世に言うお姫様抱っこ。
景吾があたしを抱きかかえ、そのまま生徒会室の隅に追いやられるようにしておかれていた
どこから持ってきたのだろうか、誰も知らないソファの上におろされる。
・・・・・あれ?
ちょっと待て。おかしいぞ?
「あの・・・景吾?」
「誰も来ない。大丈夫だろ」
「・・・・・何が?」
寝てって言ったんだけどな。
あたしが寝かされてる。
同じ目線ってあきらかにあたしが景吾を見上げる姿勢で。
おっ・・・押し倒されてるというか。
「景吾?!なっ何を・・・・」
「が誘ったんだろ?」
「違う!!誘ってない!!」
寝よ?じゃない!寝て?だったら!
不敵に笑う景吾。
待て待て待て待て。
ここ学校。生徒会室。
しだいに近づいてくる景吾の顔。
(しっ死んじゃう!!)
はげしく鳴る鼓動に思考が追いつかない。
唇が、近づく。
ぎゅっと目を瞑るあたし。
おかしなことに、こんなときまであたしの身長の低さによる弊害はないのだろうかと
頭の中はそれを考えていたり。
そんな思考の巡る頭に温かいぬくもりがそっと触れた。
あたしの額に。
「・・・・景吾?」
「冗談だ。」
「なっ・・・!!」
「残念がるなよ」
「残念がってないもん!!」
あたしの上から体をどかした景吾。
・・・・・・やられた。
景吾が立ち上がるとあたしに手を伸ばす。
あたしはすねながらもその手をとってソファに沈めていた体を起こした。
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・?」
「・・・なんでもない」
そうしてあたしは、また景吾を見上げる。
どんなに手を握っても・・・さっきみたいに押し倒されても
(・・・遠いんだって、知ってる?景吾)
タイミングよく鳴った予鈴。
そのままあたしたちは生徒会室を離れて授業に向かった。
お昼の約束を交わし、あたしは自分の教室へ。景吾は自分の教室へ。
極端な身長の低さにより。
つねに席はクラスで一番前になるあたし。
黒板をぼーっと眺めながら想いをはせる。
あたしは小さい。
そんなの昔からで。
今更気にすることもなかった。
だって仕方ないんだ。
仕方がない、それで片付いてしまうようなことなんだ。
でも、見上げる距離がもどかしい。やるせない。
あなたを見上げて思うのだ。
他の女の子達はもっと見上げるといっても、もっと近くであなたと話せるのに。
目を合わせることができるのに。
あたしが小さいばかりに。
(遠い。)
人ごみにのまれて、もまれて。
何も見えなくて。
あなたが見えなくて。
他の子があなたの名前を呼んでるからそこにいるんだとわかる。
他の子の声で景吾がそこにいることに気付く。
なんて、情けない。
小さいばかりに自分を呪う。
悔しいんだ。
みんなにとっては少しかもしれない差が、
みんなより一回り大きいこの世界が。
どうしようもなく、やるせない。
昼の約束は学食で。
昼休みの前の授業が景吾は移動教室で
あたしは自分の教室。
あたしのほうが早く学食に来て席を取っておくってあたしからそう言い出したのに。
(なんでこんなに混んでるの!)
この日の食堂の混み具合と言ったら半端じゃなかった。
席はほとんど埋まってるし、ランチを頼む人の列は長い。
そんな列に並ぼうと試みるがいつの間にかできた一方通行の人の流れにさえぎられ
それどころじゃなかった。
(・・・・景吾、もうすぐ来ちゃうのに)
席が取れなかったら中庭に行けばいいかな。
そんなことを考えていた。
「あ。跡部様。」
小さな歓声があちこちであがりだす学食。
景吾?・・・・どこ?
人の波があふれる。
人の壁に押される。
さえぎられる。
歓声をあげる女の子達の目線を追いかけてみるものの景吾の姿は見当たらない。
(・・・・どこ?)
どこ?景吾。
人波にさらわれ、のまれ、もまれ。
足がよろめき。
それでも人と人の間をぬって足を進める。
後退しながらも前へ。
跡部様、という声が聞こえるたびに方向を変える。
どこ?どこにいるの、景吾。
なんて情けない。
あたしは自分の力じゃ景吾を見つけられない。
仕方ないなんて言葉で片付けたくなかった。
仕方なくなんてない。
景吾はいつも見つけてくれるもの。
(い・・つも・・・・・)
見つけて、くれる。
「!」
手を引かれて、
その声を聞いて胸をなでおろす。
「景吾・・・・・」
「・・・・何隠れてんだよ」
「隠れてたんじゃなくて埋もれてたの!!」
「・・・・・お前小さいから、つぶされてるんじゃないかと思ったぜ?」
「ひどっ・・・・」
埋もれて・・・・るのに。
小さなあたしなんて埋もれてるのに。
いつも見つけ出してくれる。
あなたは。
「。中庭いくぞ。購買でいいな?」
「けっ景吾はパンだけでいいの?」
「うちの学園のパンなら食えなくはねえだろ」
からかうような笑み。口角をあげるだけの。
安心をくれる笑顔。
人ごみの中を景吾があたしの手を引いて連れ出す。
購買に向かって抜け出し。
いくつかのパンを買って中庭に向かった。
「なんだあれは。今日は学食で何かあったか?」
「・・・・・わかんない」
中庭は学食と打って変わって人影がない。
穏やかな天気と日差し。
景吾が腰をおろしたベンチ。
「どうした?座れよ」
「・・・うん」
景吾にうながされてあたしもやっとベンチに腰掛けた。
人波にもまれてよろめいていた足がやっと休まった気がした。
ふと、足元の小さな薄いピンクに気付く。
・ ・・・花だ。
二本の綺麗な花。
一本は茎が長く大輪を咲かせ、もう一本は小さな花を咲かせた茎の短いもの。
ベンチの影でまぶしそうに太陽を見上げるみたいだった。
(・・・・小さい)
あたしみたいだ。
目が行くのは大輪の花ではなく、小さな花を咲かせる背の低い花。
きっとみんなが気付くのは背の高い大輪の花のほうだろう。
「?」
「・・・もっと身長があったらよかったのに」
「え?」
「・・・そしたら一番に見つけてみせるのに」
あなたを。
あたしはうつむいてじっと見つめる。
その花を見つめる。
あたし、情けなくて。
人波に押されて好きな人を見つけ出すことも叶わなくて。
あたしはもどかしくて。
他の子があなたの名前を呼んでるからそこにいるんだとわかる。
他の子の声で景吾がそこにいることに気付く。
なんでそうなんだろう。
せめてあと少し身長があったらきっと。
少しはあなたの視線に近づけるのに。
もっと近くで、
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・え?」
見つめあえるのに。
あたしの体は宙に浮いていた。
景吾がベンチから立ち上がり、突然ふわっとあたしを持ち上げた。
景吾の片腕に腰掛けるようにしてもう片方の手で体を支えられ。
抱き上げられればあたしの視線は、
ほんの少し景吾を見下ろせるほど高く。
「けっ景吾・・・・」
「お前はこの小ささでいいんだよ」
「・・・・・・・・・・・え?」
「・・・・もちやすい」
「何それっ!」
初めて景吾に見上げられていた視線。
その目の優しさに眩暈さえ覚える。
その笑みに、胸が高鳴る。
「俺がお前を見つける。どこにいたってどんなに小さくたって俺がわかってるからいいんだよ。」
「なっなんで景吾は・・・・」
「ん?」
どこにいても、あなたはいつも。
人ごみにまぎれても人波にのまれても、あなたはいつも。
「・・・なんでわかるの?あたしがいるところ」
「・・・・・さあな」
あたしの頭に手を回して景吾があたしを引き寄せる。
重なった唇がちゅっと音を立てて触れる。
「なんでだろうな」
景吾が不敵に笑う。
あたしは頬を染めるだけ。
参った。降参です。
身長が低くてもいいなんて
あたしは単純だから思ってしまう。
あなたの笑顔に思ってしまう。
あなたが見つけてくれるなら。
「・・・・・花」
「あ。・・・景吾も見つけた?」
あたしを抱き上げたまま景吾はあの小さな花と大きな花を見つけた。
「・・・・似てるな、お前に」
「あんなにかわいい?」
「小さいところが」
「・・・・そこだけ?」
「ああ。そこだけ」
「・・・・・・・・・・」
少しだけ、すねてもいいですか。
やっぱりあなたと同じ目線で同じ景色がみたいから。
「すねるなよ、」
「・・・・・じゃあ、あの大きな花のほうは景吾ね」
「あん?」
ほら、見てみてよ。
同じ視線で同じ景色を、光景を。
顔を合わせて笑うと
景吾がもう一度あたしにキスを贈った。
さっきよりも長くて甘いキス。
あたしの見ている世界は
みんなより一回りほど広い。
あたしは、小さい。
小さいあたしは人波にのまれ、もまれ。
けれどどこにいてもあなたは見つけ出して側にいてくれる。
ほら、まるで。
「景吾、見てみて」
大きな花と小さな花のあの二輪を。
なんて親しげに、寄り添っていることか。
end.