それは、







すべてが罠。


















































『Trap』


































































学校の一角の階段は古く、木造だった。



歩くときしきしと鳴るその階段が、私は少しだけ好きだった。



その階段を1人下りていたある日。



足がもつれて絡まり、私の体は階段から落ちそうになった。


























「・・・大丈夫か?」




























階段から落下し、床に叩きつけられるだろう痛みの代わりに聞こえてきたその声は、



私の耳の鼓膜を震えさせ、聴覚をさらった。



私は、自分の身に起きるだろう衝撃を覚悟し、ぎゅっと目を瞑っていた。



だが、待っても来ない衝撃。



支えられ、受けとめられた肩に触れたその手は、



制服越しに伝わった体温で、私の触覚を独占した。



ふわっと鼻をくすぐった香水の香りは、私の嗅覚を麻痺させた。



口の中は渇ききり、階段から落ちる瞬間噛んでしまった口内に広がっていたはずの血の味は消え、



味覚は消えうせていた。






「怪我なか?」






ふとあげた目線、合わさった視線。



鋭いその目、まぶしい銀の髪。



私の目は自由を失い、視覚は完全に支配された。






「あっ・・・・ありがとうっ・・・・」


「・・・気をつけんしゃい。」


「・・・・・・・・・・・・」






なんとか意識は現実に戻ってきて、



気付いた状況は、顔も知らない男子に階段の踊り場で抱えられていた体。



赤くなっているだろう顔を下に向け、支えてくれたその大きな手を思わず振り払ってしまった。



かすれたその声を私の頭に静かに降らせたあと、彼は私が下りてきた階段を、



きしきしと音をさせて昇っていった。



その後姿をずっと目で追っていった私。












「・・・・・・・・・・・・・」













五感が、釘付けになっていた。














(・・・・・誰?)














あまりに突然の出来事だったため、私の思考回路はプスプスと音を立てて焼け付き、



焦げた匂いだけを残した。



その後、どうしても気になって調べたその名前。




(・・・・仁王雅治。)




あの木造の階段を昇るきしきしと鳴っていた音が、耳の奥に響いている。



それは。














































































































































心が連れ去られた瞬間だった。






























































































































































「・・・補習って・・・」


「お前この間の小テスト、白紙で出しただろう?」


「・・・・・・・・・・・・」


「俺言ったよな。60点取れない奴はテスト前だろうと補習だって。」





・ ・・聞いてなかったよ、先生。



放課後、職員室に来いと言われて来てみれば、体育教師のようにジャージを着た数学担当の教師が



この間行った小テストの採点されたものを、私の前にぴらっとだしてそう言った。



赤いボールペンの大きな‘0’という数字とその下にピッと引かれた赤線が堂々としていて、逆に誇らしい。



そのテストの解答欄は、確かにどれも空欄だった。



それはそうだ。



あの小テストの時間。私は私の名前、だけを書いて、そのあとその紙に何か書くことは一切なかったのだから。





「ってわけで今日から一週間放課後補習。毎日教室にプリント置いておくからそれをやって提出したら帰ってよし。」


「・・・はい。」


「もう今日の分はお前のクラスの教室に置いてあるからさっさとやってさっさと出せよ。」





失礼しましたの言葉と、職員室のドアを閉めた音。



廊下に響いた私のはぁという溜息。



今日から期末テストまで一週間ある。



この期間はいわゆるテスト休みというやつで、学校の決まりにより生徒会活動、部活動は一切行えない。



そのため、放課後の校舎はいつもより生徒の数が少なく静かだった。



みんな早々と家に帰って勉強でもするんだろうか。



これでも中学3年の私。私だって早く帰ってのんびりと勉強でも始めてみようと思っていた矢先だったのに・・・。



はぁ・・・とさっきよりも深い溜息のあと、このまま職員室前で立っていてもしょうがないと、



私は教室に向かった。



行き交う生徒はみんな片手に通学用のカバン。



帰る準備が整い、昇降口へと向かう。



それを横目で見たり、どこかの教室の前を通るたび、その教室に誰もいないことを確認すれば



まったくもって憂鬱でしかなかった。



自分の教室の前に立ち、閉じていたドアを開ける。








瞬きを忘れた私が、そこにいた。








(・・・・嘘。)









開けられた窓から吹き込む風。



さらさらと揺れる、肩もとの銀髪。



表情の見えない横顔が、私に気付いてゆっくりとこちらを向いた。





「・・・・・もしかして、お前さんも補習?」


「(お前さんもって・・・・)にっ・・・・仁王も?」


「そ。めんどくさい。」





まったくだ。



思っていたが声にできなかった。



自分の席についたまま、再び自分の手元に視線を移した仁王。



仁王はすでに補習のプリントに手をつけ始めているようだった。



仁王の妖艶な横顔を目にしながらも、私も教室に入り、教卓に置かれていたプリントに手を伸ばした。



教室には他に生徒がいなく、2人きりだった。



補習は私と仁王の2人だけということなのだろうか。





(・・・ついているというか、ついてないというか。)





3年になって初めて仁王と同じクラスになったときも、同じことを思った。



階段で助けてもらって名前を知ったのが2年の秋口。



別段この想いをどうにかしようとも思ってはいなかった。



仁王があのテニス部で、相当モテるということを知ったこともあったし、



仁王は私の名前など、知っているはずもないからだ。



完全なる一方通行の想い。



だから、同じクラスになれて、



ついているというか、ついていないというか。そう思った。





「・・・・・・・・」





仁王は教室の前から2番目、窓際の席。



私はと言うと、仁王と同じ窓際の列、一番後ろから2番目。



一列は全部で5つ席が並んでいるから、



私と仁王の間には席一つ分距離があった。



私は仁王の隣をとおりすぎ、自分の席につく。



筆箱を取りだし、手にしていたプリントに目を通してから一問目に取り掛かる。



ふと目にした仁王の後姿。



・ ・・・あのときもそうだった。



私が白紙のままだした小テストのとき。



こうして私は、仁王の後姿を見ていた。












無言の教室。時折吹く風が心地いいのは、知らないうちに私の体温が上がっていたからだと思う。



大問は3つ。設問は8つ書かれたプリント。私はその一問目を終えたところだった。



がたっと鳴ったイスを引く音。



仁王が立ち上がり、もしかしてもう補習のプリントが終わったのだろうかと背伸びをした背中に視線を向けていると、



仁王が銀髪の尻尾を揺らしてこちらに振り返った。




(・・・え?)




目が合い、仁王はこちらに向かって歩いてくると私の前の席を引いてそこに座った。



私のほうを向いて口角をあげて笑った仁王。





「・・・一緒にやらん?1人じゃ息がつまる。」


「え・・・・」


「1人よりも2人のほうが早い。そう思わん?。」


「・・・・名前。」





知っていたのか。



その事実に驚く私に、仁王はくくっと笑う。





「クラスメイトじゃろ?知っとるよ、それくらい。」





仁王は一度立ち上がると、机を動かして私の机と向かい合わせにさせ



再び席につき、プリントに視線を落としてその上でゆっくりとシャーペンを走らせる。



真正面から仁王を見ることなんて初めてだった。



同じクラスだと言っても、クラスメイトだと言っても、名前を知っていても。



言葉を交わしたことなんて、実は今日が初めてじゃなかっただろうか。



・ ・・間違いなくそうだ。



かすかにうつむき、下に向く視線と軽く伏せているようにも見えるまぶた。



銀の髪が時折風に揺らされて、その髪の向こうに透ける顔があまりにも整っていて、あまりにも妖艶で、



私の視線は拘束されたまま、動けなくなる。



数学のプリントなど、考えることなどできなくて。






(・・・綺麗だね。)






思わず、そう言ってしまいそうだった。





「・・・?手動いてなかよ?」


「あっ・・・うん・・・・・」


「わからんとこ?」


「えっと・・ここが・・・・」


「ん?これは・・・・」





手が動いていないのは、仁王に見とれていたからだ。



そんなこといえるはずもなく、適当にわからないと言って指差した問題。



仁王は軽く腕を伸ばすと、私のプリントと自分のプリントを近づけてその問題の解法を教え始めた。



筆圧の薄い文字は、綺麗に数字の羅列を作り、仁王のプリントを半分ほど埋めていた。



意外にも綺麗な文字。



私は、私のプリントの上を動く仁王の手を見た。





「(指、長い・・・)仁王ってさ・・・」


「ん?」


「もしかして数学得意なの?」


「苦手じゃなかよ。」


「じゃあ、なんで補習なんか・・・・」





プリントに落としていた視線を上げると目があった。



揺れる銀髪。鋭い視線。整った顔。



・ ・・本当に。



綺麗な人。






「・・・あのときな。空が綺麗だったから見とれてたら小テストの時間が終わっとった。」


「(・・・・知ってた。)」






そして私は、空を眺め続ける仁王に見とれていた。



気付いたら小テストの時間が終わり、解答欄は白のまま。



仁王は口角をあげて笑い、頬杖をついて私を見た。





は?数学苦手?」


「・・・・得意じゃないけど。」


「くくっ・・・そうか。」


「にっ・・仁王は・・・・」


「ん?」


「・・・空が好きなの?」





私の突拍子もない質問に、一瞬驚いた表情を見せた仁王は、



口元に手をあてて、少しだけ何かを考えているように見せると



今度はかすかに微笑んだ。





は?」


「・・・・え?」


「空、好き?」


「きっ・・・嫌いじゃないけど」


「じゃあ俺も嫌いじゃなか。」


「え?」


と一緒。」





・ ・・なんだ、この人。



仁王は妖艶すぎる笑みを見せ、私は瞬きを忘れて言葉を失う。



くくっと喉を鳴らして仁王が笑えば、仁王の大きな手は再びプリントの上を動き始めた。



五感が、釘付けになる。



耳も目も鼻も手も舌も。



自由を忘れ、感覚を失い、ただ、仁王に支配されていた。



頬に熱さを覚え、私の顔が赤くなっていることに気付き、



慌てて視線を落とし、懸命にプリントに目を通そうとすれば、仁王は私の真正面で



私を見ることなく、小さく喉を鳴らして笑った。





(・・・・仁王め。)





確信犯かと聞きたかったが、聞けなかった。



仁王は自分が補習のプリントを終えても、私がプリントを終えるのを待っていた。



待ってなくてもいいと勇気を振り絞って言ったが、仁王は「迷惑?」と聞いて返してきた。



そんなこと小首をかしげて言われれば、小さくなった声で「別に」としか言えなくなった。



仁王はそんな私を見て、また喉を鳴らして笑う。



絶対に。



(絶対に。)



奴は、確信犯だ。



わかっていてやってる。



「コート上の詐欺師」なんて異名を聞いたことがあったけど。



・ ・・・なんだか、はめられているようで気分が悪かった。


















「・・・一緒に帰る?」


「いっ・・・・いい!!」


「送るとよ。」


「いいっ・・・!また明日ね!」


「くくっ・・・・また明日。」













ひらひらと手を振った仁王。



初めてしゃべった今日。



悔しくて、仕方がなかった。



仁王に、この想いが知られているようで、



それが、とてつもなく哀しかった。






















































































































































































「にっ仁王!」


「ん?」


「きょっ今日・・・・・」


「・・・・に手ぇ振ったの気付いた?」





にこっと笑った仁王。



次の日の放課後。



仁王はさも当たり前かのように私の机に机をひっつけてプリントに手をつけ始めた。



私は聞きたくて聞きたくて仕方がなかった。



今朝から仁王とは一言も話をしていなかった。



それが今までの日常だったから、いきなり変わるって方がおかしい気がして、



私は大して気にしていなかった。



なのに、今日の体育の授業。



女子は外でトラック競技。男子は隣のグラウンドでサッカー。



早めに授業が終わった女子は男子のサッカー観戦に向かう。



私もその波に飲まれ、気付けばサッカー観戦をしていた。



もちろん大半の女子は仁王目当てだった。





「仁王くんー!!」


「「「キャー!」」」





いつも仁王は、なんでもそつなくこなしてしまう。



運動神経もよければ、頭もいいほう。



あの外見。・・・性格は、知らないけど。



仁王は味方のパスを受け取ると、見事すぎるフェイントでどんどんゴールに近づいていく。





(行け。)





これは応援ではないと思う。



勢いのある奴がいたら、そのまま最後まで行って来いって思うこと、誰だってあるはずだ。



仁王があまりに綺麗だから。・・・かっこいいから。



ボールを巧みに操って、ゴールを決めて見せるから。



だから、その姿に釘付けになったって、仕方がないじゃないか。



ゴールを決めた仁王が味方のクラスメイトたちとハイタッチしながら、あの妖艶な笑顔。



締め付けられる胸の痛みに、返して欲しいと願った。



あの日。



仁王が連れ去った私の心を。





「「「「「キャー!!!!」」」」」


「(・・・・・え?)」





仁王が突然、女子が並んで応援しているほうを見てきた。



そのまま、静かに笑うとこっちに向かって手を振ってきた。



周囲では悲鳴があがり、女子は大喜びし。



・ ・・私はそのとき、仁王が私と目があっていて、仁王は私に手を振ってきた気がして。



勘違いだ、そんなの。



そう思うのに。



気になって気になって仕方がなくて。



そしたら。





「俺はに振り返して欲しかったんじゃが。」


「しっ・・・知らないよ!そんなの」


「・・・残念。」





そしたら、仁王は、



私に手を振ったのだと、そうはっきり言った。



明らかに赤いだろう私の顔をどうすることもできない。



仁王は相変わらず喉を鳴らして笑い。



突然その笑い声が消えたかと思うと、あまりに綺麗に、ただ私に笑う。



確信犯だ、この人は。



私の想いを知っていて、私をからかってる。




「(・・・・返して欲しい。)」




あの日連れ去った私の心。



この一週間、仁王とは放課後2人きりでいなければならない。



負けたくなかった。



私をからかう仁王に、負けたくなかった。



なのに。





「・・・なぁ、。」


「・・・・・え?」


っていい名前じゃね。」


「・・・・・・・・」





そう笑って言った仁王は、その後私をと呼ぶようになり。





。一緒に帰る?」


「いっいい!1人で帰る」


「・・・送るとよ?」


「また明日!」


「くくっ・・・また明日。」





仁王は一緒に帰るか聞いてくるようになり、



私はそれを断るのに必死になって。



心を、返して欲しかったのに。



目が合うたびに、仁王が笑うたびに、名前を呼ばれるたびに。



日に日に、私の心が衰弱していく。



私は、自分の想いを無視することで必死だった。



















。そのシャーペン俺の。」


「えっ嘘?!」


「うん。嘘。」


「・・・・・・・・・・・」


「・・・また手が止まってたとよ?」























・ ・・・・お願いだ。



(笑わないで。)



からかうのは、やめて欲しい。



沈黙が怖かった。



逃げたいのに、逃げられない。



想いばかりが人知れず募って、積もって。



からかわれるだけなのに、好きだって、言ってしまいそうで怖かった。



かすかにうつむき、下に向く視線と軽く伏せているようにも見えるまぶた。



銀の髪が時折風に揺らされて、その髪の向こうに透ける顔があまりにも整っていて、あまりにも妖艶で、



私の視線は拘束されたまま、動けなくなる。



視覚は、仁王に支配され、



仁王の香水の匂いがかすかに鼻をついて、嗅覚は独占され。



耳は、仁王に呼ばれる名前を待ち、聴覚はさらわれた。



手はシャーペンをうまく握れなくなり、触覚は感覚を失う。



口の中がかわき、もう味覚は消えうせた。



五感が釘付けになる。



仁王に。




(綺麗だね)




そう言ってしまいそうだった。














「・・・綺麗じゃな。」



「・・・・え?」













突然届いた仁王の声。



仁王が視線をあげ、私はその視線を追いかけると、教室の窓の向こうの空にたどり着いた。



真っ青で。浮かんでいる雲が形をなくしながら漂い、その青に混ざろうとしているようで。



確かに、綺麗だった。





「・・・本当だ。綺麗だね。」


「・・・・・・・・・」


「・・・仁王が小テストのとき見てたのも、こんな空だった?」


「・・・・・・・・・」


「・・・・仁王?」





返事のない仁王に。



私は空から視線を移す。



仁王は、見たこともない真剣な目で私を見ていた。







「綺麗じゃな、お前さん。」


「(!!)なっ・・・どこがっ・・・・・」


「全部。」








平然とそう言ってのけた仁王。



いつもみたいに、笑うことなく。真面目な顔して、鋭い目つきで。



そのとき、気付いた。


















































































































































































これは、罠だ。
































































































































































罠だ、全て。






「・・・・全部。」







仁王の。私をからかうための。



罠。





「・・・・冗談でも、うれしくない。」


「・・・なんで?冗談じゃなかよ?」


「じゃあなおさらうれしくないよ。」





ははっと、私は乾いた声をして笑った。



仁王は笑わずに私を見ていた。



綺麗なのは。



・ ・・綺麗なのは、仁王。



その銀髪。



鋭い視線。



時折顔に浮かべるだけの笑み。



その存在すべてが、



罠。



私を深みにはめていく。





、一緒に帰らん?」


「帰らない。」


「・・・・・・・・・」


「・・・また明日ね。」


「・・・・・・・また明日。」





明日で、最後。



補習の最後。



もう、仁王と、あんな風に長い時間一緒にいることはない。



もう、きっと話すこともない。



罠だとわかっていてはまるほど、私は愚かにはなれない。



・ ・・仁王は、あの日。



私の五感を支配して、心を連れ去って。



返してくれなかった。



気付けば、あのきしきしと鳴る木造の階段に来ていた。



一歩一歩踏み出せば、きしっきしっと階段が鳴る。




(・・・・仁王の、足音。)




あの後姿。



気になって、知りたくて。



名前を知って、それだけなのに。



なぜかもっと、好きになって。





「(もっと。)」





・ ・・もっと、好きになって。



仁王と話して。向き合って。数学を解いて。名前を呼ばれて。



連れ去られ、帰ってこない心は、



日に日に、衰弱していった。



・ ・・・叶うことなんか、望んでいない。



今までも。



これからも。










































































































これからも。








































































































































































































































次の日。



補習最終日。



明日からはテストもある。



今日はいつもより早く、数学のプリントを終わらせて帰ろう。



そう意気込んで放課後の教室に足を踏み入れた。





「・・・仁王。もう、いたんだ。」


「ああ。」





私の席に向かいあうように机をつけて、仁王はもうプリントに手をつけ始めていた。



私も教卓からプリントをとってくると、自分の席について問題を解き始める。



いつもより口数が少ないのは、私も仁王もだった。




(・・・・仁王?)




カリカリとシャーペンの音だけが教室に響いていた。



ふいに窓の外を見ると、昨日に似た青い空。



問題に対して、解答を作っていた私の手が止まった。



仁王は、小テストのときこんな空を見ていたんだろうか。























「・・・初めて」


「・・・・・・・・・・え?」


「初めてお前さんと会ったときのこと、俺は覚えてるとよ。」


「・・・・・・・・・」


「お前さん、いきなり降ってきたんじゃ。」































くくっと喉を鳴らして笑ういつも通りの仁王がいた。



降ってきたんじゃなくて、落ちてきたんだよ。



そう言いかけてやめたのは



仁王の笑い声が消えて。



仁王が静かに、微笑んで見せたから。



私は声をなくしていた。





「・・・びっくりして、咄嗟に受け止めて。」


「・・・・・・・・・・」


「そしたら3年のクラス換えのとき、俺と同じクラスの欄にお前さんの名前があって、驚いた。」


「(・・・・・・え?)」





仁王と同じクラスの欄に、私の名前があったって・・・・。



だって仁王。



仁王は・・・・・。





「・・・なんで、名前・・・・」





私の名前を知っていたのは、私と仁王がクラスメイトだからでしょう?



なんで一緒のクラスになる前から・・・・・。









「・・・さぁ、なんでかのう。」










驚きに目を丸くする私に、仁王はただただ笑う。



開けられた窓から入ってくる風に、銀髪を揺らし、



少しだけ寂しそうに。



がたっと私の前の席から立ち上がると、プリントを手にして教室の出口に向かっていく。



教室と廊下の境にいた仁王は、私に振り向くと軽く手をあげて口角をあげて笑った。













「・・・補習終わりじゃな。と一緒で楽しかったとよ。・・・・・・また明日。」













私の視界から、仁王が消える。



・ ・・また、明日。



今日で補習は終わり。



もう、仁王と一緒にいることはなくなるはずだ。



もう、仁王とこんな風に話をすることはなくなるはずだ。



・ ・・・いいんだ、これで。



だって、全部、罠。



きっと、さっきのあの言葉だって。



私をからかうための罠。



私を深みにはめる罠。




(・・・だって、仁王は。)




仁王は・・・・。



どんなに私が仁王が好きでも。



仁王は、私のことを好きになったりしないから。









































































































































































































































テストの日になれば、仁王と目が合うことも話すこともなかった。



もうつながりなんかないのだから、当たり前といえば当たり前。



はぁ・・・という深い溜息が人知れずでていた。



ついているのか、ついていないのか。



私は一体どちらなんだろう。



今まで話すこともなかった仁王と、話すことができたのだから、ついているといえばついているのかもしれない。



でも。





(私は、返して欲しかったのに。)





あの日。連れ去られた心を。



なのに、



もっと好きになって。



私は一体どうするつもりなんだ。




<かさっ>




テスト最終日。



特に部活動も入っていない私は帰るべくして昇降口に向かい、



靴を取り出そうと自分の下駄箱を開けた。





「・・・・これ・・・・・・・」





靴の上に、一枚のメモ。



手にとり、四折にされたそのメモを開いた。



筆圧の薄い、その綺麗な文字には確かに見覚えがあり。









「・・・っ・・・・・・・」









仁王だ。



そう思うと、涙がこみ上げてきた。





‘放課後。’




























































































































‘今日も、会いたい。’



















































































































































これは、罠だ。



私をからかうための。



私を深みにはめるための。



全部、罠だ。



見せてくれる笑みも。



手を振ってくれたのも。



呼ばれる名前も。



綺麗だと言ってくれたのも。



名前を知っていたのも。



このメモも、この言葉も。



全部罠だ。



私の想いを、知っていた。






「・・・・・・・・・・」







下駄箱から靴を取り出し、履き替える。



向かうのは、一つだ。



今日はテスト最終日。



生徒会活動解禁、部活動解禁。



仁王は、








「キャー!丸井くん!!」


「赤也ー!!」


「柳くーん!」









仁王は、テニスコートにいるはずだから。



女の子達の波がすごい。



人と人の間から、私は背伸びをしてコートを覗く。



どうにか見えたのは、あの銀色だけ。



この想いを諦めていた私だったから



・ ・・テニスをしている仁王を見るのは、初めてなのに。



残念で、うつむいた私にはその銀色さえ見えなくなった。






「「「「「「キャー!!仁王くんー!!」」」」」」



(なっ・・・何?!)






歓声にも似た悲鳴に、私は急いで顔をあげる。



視線が支配されたのは、



目があったのが仁王だったからだ。







。部活終わっても、待っとって。」








コートを囲むコンクリートの低い壁越し。



私のいるギャラリーが集まるその近くに仁王はいて。



かすかに微笑む仁王は、人と人との間から、私の目をしっかりと見ていた。



なぜだろう。



こんなに黄色い声で騒がしいのに仁王がなんて言ってるか、とてもはっきりわかる。



とても、はっきりわかる。


















「それで、一緒に帰ろ。」


















仁王のその言葉に、私は初めてうなずいた。



聞きたくて、聞きたくて。



どうしても、聞きたくて。



仁王の声が聞きたくて。



名前を呼んで欲しくて。



一緒にいたくて。



がんじがらめに罠にかかったこの心は、



身動き一つ、取れなくなっていた。



























































































































































が俺のこと見てるの知っとった。」


「え?」


「小テストのときな。が俺のこと見てる気がして、そんなこと考えならずっと空を見てた。」


「・・・・・・・・」


「一緒に補習になったら、話せるかもしれんじゃろ?」





仁王は、私と話せる機会を探していたらしい。



本当に私が補習になったときはチャンスだと思ったし、



まさか2人きりになれるとは思ってもいなかったとまで教えてくれた。





が降って来て、受け止めたとき。」





並んで歩いていた帰り道で、仁王が足を止めた。



私も仁王の隣で、足を止める。








「目が合った瞬間に、見つけたって思った。」








仁王の手が、私の手を握った。



目を合わせ、仁王はかすかに笑い。



私は、仁王から視線をそらすことができなかった。



仁王は、



その銀髪。



鋭い視線。



時折顔に浮かべるだけの笑み。



その存在すべてが、



罠。



私を深みにはめていく。















「・・・やっと、見つけたって。」















仁王はいつも、私のすべてを奪っていく。



視界も音も、鼓動も。














心も。













あの日。私の五感を釘付けにして。









「・・・・、好きじゃ。」


「・・・・・・・・・・」


「俺のもんになって。」









唇が、近づく。



私の名前を呼ぶかすれるその声が私の耳の鼓膜を震えさせ、聴覚をさらった。



私の手を握り締めて離さないその手が、その体温で私の触覚を独占した。



かすかに香る香水が、私の嗅覚を麻痺させた。



口の中は渇ききり仁王の唇が私に触れ、味覚は消えうせていた。



ふとあげた目線、合わさった視線。



鋭いその目、まぶしい銀の髪。



私の目は自由を失い、視覚は完全に支配された。









「・・・仁王が、私のものになってくるなら、いいよ。」










仁王は一度驚いたような顔を見せると、喉をならして笑った。



もう一度静かに静かに口付けて。



私の五感を釘付けにして。



私の世界を覆っていった。



私を、深みにはめるこの人は。



































































































「よかよ。・・・俺は、お前のもん。」































































































































存在そのものが、罠。




















































































End.